朱乃紅スキゾ日記

管理人朱乃紅の統合失調症の闘病記、アニメの日々の日記

また書いてみよう。

そういえば、前回の記事、消してなかったな。偉い、偉い。

今回、書いてみるに至ったのは、精神分裂病、すなわち統合失調症が、発症したからだ。発症って、既にしてるんだけど、と思うのは当然の事。

二十年選手だからな。でもいい。統合失調症の中でも、特に強い症状が現れる、恋愛病がまたしても発症してきた。前回書いたのもその事だったな。

でもいい。これを記述することが、好転に導かれるのなら、やってみよう。

ああ、今は、シュタインズゲートゼロにはまっている。あと一つで全てのルートがクリアできる。楽しみだ。結構はちゃめちゃな所もあるけれど、志倉千代丸さん凄いなー。やっぱり。アニメ化するだろうか。して欲しいな。できるかな。

まあいい。でも、その中で、AI牧瀬紅莉栖のことを考えると、キーボードを叩く手も軽くなるな。シュタインズゲートは、癒し効果というかカタルシスがあるのだろう。

俺も、どんどん、ウェブに親和性を持てるようになりたい。そんな必要は無い?

無いかもしれないけど、あるよ。だってウェブは、もう既に世界を席巻しているじゃないか。乗り遅れるな。乗り遅れてもいい。俺なりのウェブの使い方を。

WIN98時代からホームページやってきたのにねー。今では、全然、停滞しているよ。

まあ、いい。今回書けたのは、いいきっかけだ。

ところで、全然趣旨がばらばらだな。散文もいいところだ。

ああ、恋愛病が発症したということだった。

医師も了解不能な私の症状。苦しいねー。自分の拡張が起こる時に、決まって、現れる。多くは、対人的なもの。しかも、良好な対人関係、好意的な対人関係で起こる。

だから恋愛病。男であれ女であれ。凄いねー。異性愛でなくても起きるんだ。私は、ヘテロだけど、この症状は、別みたい。

どうしたものかね。日常生活に支障をきたすんだけど。それも、新しい技法。編み出した奥義でなんとかクリアできるはずだけどね。核心には触れないから、つまらないと思うので、なんか別のことを書こう。シュタインズゲートゼロのこと?

いや、音楽のことを書こう。ちょっと前からダニーハサウェイを聴くようになって、彼の素晴らしい声に魅了されて、歌いたいなー。って思うようになった。スティービーワンダーとか、マービンゲイとかよりダニーハサウェイに惹かれた。

そこから、昔聴いていた、コールドブラッド聴いたりするようになって、でも、クラリスも好きだし。EGOISTは一番好き。この間、ライブ行ったし。

チェリーの声は癒されるんだよね。でもダニーハサウェイの声は、もっと深い。

やっぱり歌いたいな。ギターも、もっと上手くなりたい。頑張りたい。

でも、次の文学フリマが近づいて(まだか)はいるから、小説も書かなきゃ。

私は、何がしたいんだろう。精神分析かな。禁忌だよね。先生も、斉藤先生も言っている。でも、精神分析だな。受けたら死ぬかな?受けないよ。だってそこは、守るもの。

それでも、精神分析には、賭けるかな。

ちょっと徒然過ぎるね。この文章。何が書きたいのではなく、何か書きたかっただけだから。ごめんね。また、書けるといいな。書けるかも。AIいや、牧瀬紅莉栖のお蔭で。

一年と三か月ぶり

前の記事が2016年の二月か。

その後も何度か書いては消していた。

そう、私は、ウェブ不安症だ。統合失調症からくるものだろう。

何故、また書くに至ったか。それは、私へのチャレンジだからだ。

私は、現在、恋愛病に罹患している。恋愛病とは、私が勝手に名づけた

病名で、誰かに思いを寄せると起こる、狂気の病である。

男でも女でもいい。とにかく、思いを寄せたことに恐怖を感じる病気だ。

これは、全く理解不能の症状で、医師も複雑すぎて分からないそうだ。

医師でも、了解不能の病に一人立ち向かうのは、辛い。

でも、勝たなければ私に明日は無い。そう思い、これを書くに至った。

恋愛病は、まさしく過去の恋愛から生じて、相手を思い遣る事が恐怖になり、

その関係は破綻する。自分だけ自滅してれば、問題ないのだが、

相手があるから、結局巻き込んで、傷つけてしまう。恐ろしい因果な病気だ。

統合失調症と言えども、その症状は千差万別。特に私のこの恋愛病は、

厳しい。相手を思い遣ることが怖くなるのだから。

とは言っても、勝ち目が全く無いわけではない。その鍵は、言葉である。

言葉によって、生じた病なので、言葉で解釈することが大事である。

それは、精神分析だ。私は、医師から精神分析治療を受けることは、禁じられている。

統合失調症には禁忌だそうだからである。

しかし、私の拠り所は、精神分析にある。斉藤環先生の本に感銘を受け、概説書を色々と読み、精神分析的思考が私の病気には効果があると考えられた。

そして、神田橋條治先生の本を読んでそれは確信に変わった。

本当は、精神分析を受けたい。けど、医師から禁じられているし、膨大な時間とお金がかかる。私には、できない。だから、自分で精神分析を学び、自分で治療しなくてはならない。そして、それが効果を発揮するか、正しい、治療法か、治ってみなければわからない。増悪化したらそれは、間違っていたことになる。

だが、精神科医にも了解不能の病気なのだから、自分でやってみるしかないよ。

今日は、その宣言の為に日記を書いてみた。これから、私の戦いが、勝利を収めるか、

敗北して、悲惨となるかは、試してみるしか方法は無い。

願わくば、この日記も継続でき、勝った暁には、全ての恋愛病が克服されることを重ねて願う。

 

日課にする。

ここ数日、書き続けられているこの日記。

日課にできればいいと思う。

今日は、映画『桐島、部活やめるってよ』を観てきた。

最近邦画から遠ざかっていて、今日もヨーロッパ映画を見るかどうか迷っていた。

が、どうもこのキャッチーな響きのタイトルの映画に惹かれて観てみることにした。

公開は2012年。映画内では、まだガラケーも頑張っている頃の作品。

面白かった。ちょっと古いけど、でも今の高校生ってこうなんだって学ぶところが多かった。俺の時代と比べてどうだろうか? うーん。思い出してみると、やっぱり男女の交流が盛んかな。まあ、俺はスクールカースト下位だったから、上位の奴らのことは分からないけど、あんなに女子と付き合ったり、遊んだり、ましてやキス、とかそれ以上なんて、思いもよらないよ。今では、セクハラおやじの俺だけど、あの頃はウブだったなぁ。告白なんて一度も出来なかった。あーあ。戻りたいとも思わんけどね。

だって、中高生って大変じゃん。勉強、部活、遊び、先輩、後輩、友達、グループ、そしてカースト。やってらんないよ。でもね、一度戻りたいとしたら、殴り合いしたあの頃かな。俺が、まだ小学生の元気を持っていた頃。もっと、自分を信じてあげれば良かった。今ぐらい熟考できていれば、あれ以降の転落は無かっただろうから。

そうして、遅すぎたんだよ。気づくのが。まさに『桐島』時代の俺、アイデンティティに急激に目覚めて、激しく自分を追い詰めた。そして、崩壊。

馬鹿だよ。本当に。あのまま普通にやってれば、普通の人生を味わえただろうに。

カースト下位だって、多分大学とかで適当に遊んで、適当に彼女でもできていただろう。人並みの遊びも、人並みの恋愛もできただろう。今更だがね。

と、恨み節を述べたところで、俺は今の人生を大肯定している。

だって、こんな恐ろしい病気に罹って、苦しみの極限に至って、それでも、懸命に生きて。そして、あのままだったら、絶対に捨てていたアニメに出会って、そして、物を書こうとしている。こんな人生なんて普通の人には中々体験できないよ。

だから、これでいいんだ。『桐島』とか観てかなりセンチメンタルになっちまってるけど、それでもいいんだ。俺は、今の人生を大肯定する。発作、チック、不安、強迫、今でも、迫ってくるけど、それでも負けるもんか。俺は、必ず勝つ。

どう、勝つのかそれは、まだ分からないけど、少なくともこれを書けている今は、前より前進している。勝利は見えている、そこまで走り抜く。これが、今日映画を観て感じた感想かな。ちょっと感傷的になりすぎたかな。でも、いいや。

明日も書こう。

 

今日も書くぞー。

今日は、天候のせいかお客様もそこそこで仕事も穏便に進む。

その分とても、気を遣って接客したせいか、非常に頭が疲労して、

帰宅後、しばしの休憩。夜に代々木果実の仲間と会食した。

彼のプロットと原稿の書き出しの部分を読ませてもらい、

いくつかの指摘をさせてもらった。偉そうに思われるかもしれないが、

彼とは、一回り以上離れている。だから、良いとする。

それとは、別に、自分の作品は出来上がっているのだが、

ほぼ『ベルばら』です。始めは、近世の猟奇殺人の捜査ものにしようとしていたの

だけれど、いつの間にかベルばらに。(+o+)

イメージは、私の大好きな『エルゴプラクシー』を近世に持っていきたかったのだけど。なんとまあ、フランス革命を題材にするとああなってしまうのですよね。

仕方ないです。と同時に反省でもある。けど、よく書けたとは思いますよ。

話は変わりますけど、最近『ソードアートオンラインミュージックコレクション』買ったのですが、ほんと素晴らしいですね!梶浦由記さん、最高です。

心の奥に沈み込むような深い感覚を感じます。ユング的な。ただ、梶浦さんの曲って似てるの多いよね。やっぱり劇伴作家の方の音楽ってその独自性が現れるけれど、やはり個人が作っているものであるわけで、似てくるのは仕方がないですよね。

その中でも多様性がある作曲家の人だと、やっぱり菅野よう子さんかな。

最近だと、バリエーションの多さで澤野弘之さんも凄いと思うし、川井憲次さんとか大御所もさすがだし、中川幸太郎さんとかも面白い曲作るよね。メガテンシリーズの目黒将司さんのペルソナシリーズの楽曲なんかほんとかっこいいし。

アニメのサントラは特に買う方だから、いろんな作曲家の曲を聴くのはすごく楽しい。

むしろ俺は、アニソン、よりアニサンwだね。

てな感じで、まとまりもない日記なのだが、今日最後に書こうと思うのは、今度の文学フリマの事と、私のこれからの執筆予定だけれど、文フリの作品が早く書き終わったところで、そろそろ投稿も視野に入れないとなというところ。

短編は文フリで、中編は、二編投稿してきたけれど、まだ長編を書き終えたことはない。であるからして、今年は長編を何としてでも書き終え、投稿したい。

頑張ります!病気は、悪くない。このままのペースを保って明日へ進もう!

朱乃紅療法

私は、朱乃紅療法を公表する。

精神分裂病統合失調症に罹患して20年余り。

私は、この病気を記述し、克服し、書いて、書いて、書き抜いて来た。

そうして、ようやくこの病気を克服する、道を見つけたのだ。

論理性を身に着けること。あくまでも論理的であること。

破綻した文章でも、論理的であると考える。

それは、何故か。精神分裂病統合失調症は、破綻した心の病気だからだ。

それでも、書き連ねることを旨とする。

精神分析、心理療法、私は、それらにシンパシーを感じる。

元々、臨床心理士のセラピーで私の病気は、悪化した。

だが、それを取り戻すにも心理療法が必要だった。

精神分析は、受けたことが無い。だが、斉藤環の本から始まって、精神分析に非常に

興味を覚え、色々本を読んだ。フロイト精神分析入門は、読み切れなかったが、必ず、もう一度読んでみようと思う。

私が、読んだ精神分析系の本は、斉藤環の本と分析の概説書だけだが、それでも、何故か心の中に、精神分析は、息づいている。一度だけ行ったことがある、精神分析のセミナーも私を精神分析に思いを寄せさせる体験になっている。

ユングにも興味がある。集合無意識とか、錬金術とか、ユングのオカルティックな面も

あるが、ユングは、とても深い無意識の海に潜っていくような考えが、時折、音楽や、アロマテラピーで感じる、私の深い部分の自我を確認させてもらえる。

音楽の海に沈んで自分の真を感じるような時などは、そういったユングの世界に関わってくるような気がする。

そういうことで、私にとって精神分析や心理療法は、必要なものだ。

認知行動療法など新しい療法もあるが、断片的には体験したこともある。

それにしても、これらの療法をきちんと完全に私は、受けたことはない。

今の精神医療は、もちろん、認知行動療法などのワークも併用しているが、半分以上は、診察と薬物療法だ。もちろん、今の新薬は、劇的に効果を現すこともある。

しかし、私は、精神分析や心理療法に何か可能性を感じる。

だから、私は、独自に精神分析や心理学、心理療法を学んでいこうと思っている。

もちろん、私の夢は、ライトノベリストだから、それを主にしていくことには、違いない。だが、同時に自分のこの極限の病を克服しなければいけないという責務もある。

精神分裂病統合失調症は、克服はできないとされている。完治は無い。

寛解という、症状が残っていながらも、日常生活ができるといった状態だ。

しかし私は、完治を目指す。いや、無理だ。無理に決まっている。分かっている。この二十年、それを実感してきた。だが、私は、私が編み出した二十余年かかって作り出した、療法は、必ず功を奏す。その基本は、記述だ。

あくまで論理的に、矛盾が無いように、破綻がないように。

そこに、矛盾や破綻が現れたところに私が治すべき症状がある。

書き連ねてきたノートは、もう100冊をとうに超えている。これからも書き続けるだろう。そして、今度は、このブログを書くという方法も効果を出すと思う。

ブログやツイッターを書き続け、消し続けてきた日々は終わった。

これからは、この場を使って、発信をしていこうと思う。

以上の文は、まとまりも無いし、論理性も破綻しているだろう。しかし、それを知っている私は、論理的なのだ。

今日も試しに書いてみようかな。(消すだろうけど)

久々に書いてみる。前回の日記が残っているのは、半年振りだったが、実は、その後にも何度か書いては、消しているのだ。(スターなど付けてくれた方には申し訳なかった)これは、私の病気である。

そもそも、この日記を書きじめた理由は、闘病とアニメの雑記だった。

しかし、私は、あえてこのスキゾフレニア(統合失調症)を大々的に書き記すことはせず、あくまでライトにアニメの感想などを交えながら、普通の日記風に記述してきた。

しかし、近頃、私の中で色々な葛藤があって(近頃どころじゃないけど)、その都度この病気に悩まされることから、この日記はやはり、統合失調症、(精神分裂病とも言われていた。憎しみを込めてそう言いたい時もある)スキゾフレニアのことを強く主張していくべきなのだと思った。

大々的にカミングアウトするのが怖いのではない。ただ、本当の統合失調症とは、隠すべきではなく、さりとて大仰に語るのではないといった考えだった。しかし、今ここに至って、私は、このことをはっきりときちんと声を大にして伝えるべきことなのだと分かった。

タイトルもスキゾ日記な訳だし。

ということで、これからは、忌憚なく障害を喧伝していく。

だからといって、私の苦しみ、悩みだけを、吐き出しているだけでは、ただの、恨み節である。ならば、病気は語りながらも、やはり私の大切なアニメも交えて、病、二次元、のコラボといこうではないか。

ああ、久々に書いてみたら楽しい。私はやはり書きたいのだ。これが消すことになっても。

今期のアニメは豊作だ。「僕街」や「亜人」、「無彩限のファントムワールド」

他にも一杯。ほとんど追いついていない。今、私は、自室ブルーレイ計画を立てて、

アナログテレビ見れるブルーレイプレーヤーをゲットした。これで録画したブルーレイを見れる。とりあえず、今見始めたのは、何期前かな「結城結菜は勇者である」だ!

また、書けることを!祈願!スキゾの好きにはさせない!

 

五か月、約半年ぶりか。

さて、約半年ぶりの日記、何を記そうか。

何で、書くに至ったか。何故書かなかったか。

全ては、スキゾに依拠します。

だけど、本当は、書きたいんだ。何が何でもいいかから書きたいという

気持ちはある。だが、書いても直ぐに消してしまうし、書かないと何も残らない。

それが、一体何なのか。多分恐怖だと思う。書くということは、自分を晒すことになる。スキゾ者にはそれが一番恐ろしい。なのに何故書きたいと思うのか。

それは、私が物書きになりたいからだ。何故物書きになりたい?

それは、自分の記録を残したいから。禅問答と、矛盾。私は、そのパラドックスの中で生きる。最近『プリデスティネーション』という映画を観た。

あれは、矛盾の真逆だな。全て輪廻の中。輪廻の蛇というのが原作の題だったか。

ウロボロスの事かな。私は、矛盾だらけだ。そして最近また再放送中の『シュタインズ・ゲート』を観ている。あれも良くできているな。

タイムパラドックスにタイムマシーン。心躍る設定だ。今度の新作ゲームが特に気になる。さて、今日はこの辺にしておこうか。慣らし運転には丁度良かった。

まあ、また書けるのを期待しよう。あ、こんなめちゃくちゃな文章ならば、読むほうは、辛いものがあるな。でも、大事なのは、書くこと。書いて披瀝すること、それが、恒常的にできれば、また少し前進できる。