朱乃紅スキゾ日記

管理人朱乃紅の統合失調症の闘病記、雑記

病み(闇)を纏う

先日、フラッディングという行動療法の一技法を使い、私の強迫性障害をクリアーしようと試みたことを記載した。それで、結果と言えば、八割方成功したかに思えたが、残り二割の病的症状を残してしまった。

私は、ここを乗り越えなければならない。どうしても、1週間後までには治さなければいけない。だけれど、私の統合失調症強迫性障害はそんなに簡単なものではないようだ。

そこで私は、考えた。全てをクリアにするのではなく、曖昧な病的状態を受容しようと。どうしても強迫に冒されているとその対象物や症状を完全消去しなければ我慢できないと考えてしまう。それで、躍起になって物を手放したり売却したりする行動に出てしまう。だが、それをひとまず置いて、病がある状態を恒常状態、ホメオスタシスだと考えることにした。

つまり、病を身に纏うことだ。病気を我が物にし、それをパッケージ化して克服する。そんなことができないか試してみることにした。昨日はそれの実験で眉間に深いシワを寄せながら出勤した。本当に誰かが気づかない程度だが、私の苦悩は滲み出ていたかもしれない。しかし、その状態で仕事をし、そして、ある程度の成果を出しながら終業して、帰宅時は発作が起きたので、公園に寄ってベンチで横になりやり過ごした。

私のそういった試みは、成功した様に思えた。そこで私は、ヤンキョーになろうと思いついた。冗談のようだが決してヤンキーでは無い。笑ってしまうけれど、”病ん強”という造語を作った。病んでも強い。そんな自分を目指そうと思った。そして、今日、休みだったが、早めに起きて、雑事をこなし、朝食を摂って、勉強するか、本を読むか、アニメを見るか、とにかく机に向かった。しかし、本が頭に入らない。当然勉強はできない。そして、仕方なく、寝室でアニメを見ることにした。『Unnamed Memory』という新作アニメを一本見た所で、私は、耐えきれず睡眠してしまった。惰眠し、目が覚めたのは、お昼近くになっていた。やばいな。失敗かな?どうすればいい?もう、これ以上のフラッディングはできない。大切な日は1週間後に迫っている。

売却病を発動するか。しかし、それは雪崩式に一気に崩れる可能性がある。

しかし、このまま病みを抱えたままでは、正直身体的に辛い。乾坤一擲、現状打破の方法は……。無いと思う。ならばどうしたらいいか。病みを纏って生きてみよう。

病みを纏う。つまり闇を纏うということ。それは、厨二病でいう所の暗黒であり、私はダークフレイムマスターになる!今の苦しみは、私の刻まれた紋章が疼いているのだ。闇に飲み込まれる前に、紋章の暴走を止めなくては!それができるかは、この一週間に掛かっている。

 

 

田中寛之氏『あの頃』(文芸社)を読んで

サークル仲間の平くんから勧められてアマゾンで購入した田中寛之さんの小説『あの頃』を読了した。購入してから読み終えるまで結構な時間が経ってしまった。

それは、何故かと言うと、この小説は、抜身の刀の様に私の心にグサグサと刃を突き立てるようで、それでいて読み始めると、氏の読ませる力によってどんどんとページを捲らされていくからだ。そんな畏れを抱きながら、進んだり止まったりしているうちに最後の行まで辿り着いた。読み終えて、色々な想いが私の中に縦横無尽に去来した。

氏の現代社会に対する批判的精神やちょっとハスに向かう社会への眼差し、そして、同時にこれほどかと言えるほどの純粋さ、透徹した瞳。孤高と言えるかもしれないほどのプライドを持ちながら、人への拭いきれない愛着が示されている。そして、病を患いながらも様々な社会的、人間的経験の豊富さには圧倒される。その行動力、爆発力には目を瞠るものがある。弱き者への慈愛、強き者への反発、そして真贋を見極めようとする瞳。

そういう純粋と混濁を極めた文体が私自身を困惑させ自分をも見つめ直させるそういう視点がある。時折見せる社会の矛盾へのツッコミが少し読者をほっとさせ、「そうだよなぁ」などと同感したりもする。終始独白で自伝的小説だと思われるが、これだけの稀有な経験は中々できるものではない。氏はそれを余す所なくしっかりと自分の身体に刻んでいるように思われる。この小説のメインである、優子という女性との恋愛にも似た関係に氏のひたむきな愛情を感じさせる。優子は氏にとって恋人であり、母であり、親友でもあり、聖母でもある様に感じられる。そんな優子を諦めきれない氏の苦しみは、読んでいて辛い。ここまで一人の女性を愛し抜くことは並大抵のことではできない。作中では、氏が作家になる処女作?で『優子』という作品(仮名?)を上梓したことも書かれている。

とにかく全体を通して貫かれているのは、主人公和也の眼差しの深さだ。それが読み手を誘導させてラストまで導く。若干起承転結は乱れているものの、娯楽小説ではないので気にはならない。一人の若者の泥だらけで傷だらけの青春が凝縮されている一冊である。

他の作品もアマゾンで探してみようと思った。

 

 

 

 

呼吸、プラセボ、オリジナル治療法

私の長い統合失調症との付きの中、民間療法のようなものが生まれてくる。

その一つは、ラムネだ。ラムネには(森永製菓の)90%のブドウ糖が含まれていて、

発作などで脳がダメージを受けた時に食べると効果を発揮する。発作というのは、脳のオーバーフローで、過負荷のような状態になっている。そこに栄養を与えて脳の過剰なストレスを緩和してくれる効果がある。と!私は思っているが、医学的知見があるわけではないけれど、確かに私の発作後のヒールには役立っていると思うのだ。

よくつかれた時に甘いものを食べると回復すると言われているから全くの眉唾ものではないだろう。ラムネはそこに特化した私のプラセボだ。

次は、これまで私が色々な心理学や心理教育で学んだことから自ら生み出した治療法で、今までもいくつか紹介してきた。

多くが精神分析認知行動療法から萌芽した方法で、先ず1つ目は、欲望理論というものを作った。内容はめんどくさいので詳述しない。(ごめん、まだ脳のダメージがある)とにかく精神分析認知行動療法をミックスした治療法だった。

かなりの期間私を支え、強迫も克服し、寛解したと思うほどだった。

次に考えたのは、曝露反応妨害式と表。これも詳述しない。とにかく強迫の強度とその強迫を克服するべきかすべきでないかを引き算して表に記し、行動の指標にするというもの。最後は、先日も話した360度思考。ヴォワチュール・リュミエール思考だ。

自分の身体をカメラワークの様に上から下まで舐め回す様に観察する。これは、マインドフルネスのボディスキャンに似ている。呼吸というのは、まさにマインドフルネスで、オリジナルの療法ではない。だが、呼吸を整えるということは、心を整えることになる。そして、オリジナルではないが、学んだわけではなく自分で実行したのが、

フラッディング。自分に最強度の恐怖を与えてそこから逃げないように頑張る。

これらが私の病理に対して行うオリジナルの治療法だ。

今日は、最後のフラッディングを実行した。これで、最後にしたい。フラッディングはエネルギーを大量に消費する。一番効果的だが、もう十分だ。

今回、3次元、2.5次元、2次元の恐怖の対象をクリアした。これで、完成だ!

明日の朝、完全に克服できていれば、私の勝利だ。

 

 

 

BAD DAY

今日は、朝から映画館へ行き、巷で話題のクリストファー・ノーラン監督、アカデミー7部門制覇の『オッペンハイマー』を見てきたが、眠くてたまらず半分くらい眠ってしまい、内容をほとんど理解することができなかった。なのでパンフレットを購入し、いずれ再度チャレンジしようと思った。何故そんなに眠かったかというとやはり、強迫性障害が関係してきていて、それでここしばらく強迫が続いているせいだと思う。それで、集中できず心ここにあらず、状態だったのだろう。仕方がないことだ。それから、メルカリで買った中古の3DSが酷い状態だったのでがっかりした。画面ヤケがあるのと、それから、バッテリーが完全にへたばっていてこりゃダメだ。返品もできないし、ハズレを引いたな。やっぱり中古本体は、実店舗で購入すべきだな。そんなどうでもいいことで悩んでいるのだが、やはりポイントは、強迫性障害、それに対しての対処法であるフラッディング。それを実施するまで今週一週間は厳しい戦いになるだろう。

そんなことはどうでもいい。それよりも!だ。何か建設的なことは書けないだろうか?

そこで、私が時々陥る状態の説明をしようか。私は、現在ホームセンターで障害者雇用枠で働いている。それは、それで私の責務を果たしていると自負しているので、歯車の一分として機能はしていると思う。歯車一つだって、外れたら全体に影響を及ぼしかねない。換えはいくらでもあるといっても少なくとも14年やってきた者の換えは、そうそういないと思う。だから、その仕事はそれでいいのだ。全力を尽くして決められた時間の勤務を全うすればいい。他方、私は、今放送大学で学んでいる。主に心理学だが、自分の好きな学びなので続けているが、最近遅々として進まない。それが、だめなら、ギターのレッスンにも月一で通っているが、モチベーションがいまいち。そうしたら、次はゲームになる。上述の3DSPSVITA、時々Switchもやるが、食指が伸びないこともある。どうしようと思って、ライトノベルを読む。少し集中ができるが没頭するほどではない。アニメも見る気が起きない。そうすると、結局できることが何も無くなって、本当に何一つやる気が出ないことが多くある。物に溢れすぎているのか、やっぱりどこか機能が故障しているのか。

これが、私が時々陥る状態だ。何一つできない、やる気が出ないというのは、人間として死んでいるのと同じだ。そんな私に、どうやって発破を掛けることができるだろう。

それが、このブログだ。私は、ブログ独立宣言をした。(馬鹿みたいだが)つまり私はブロガーなのだ。先日の何者と言えば。そう。だから、私は、この駄文を良しとする。

誰が見ても面白くない文章でも書き続ける。それが私のライフワークだ。この愛機のChromebookがあれば、サクサク書ける。そう。何一つできないことがあっても、私はこのブログ記事だけは、書けるんだと思う!だから、これからも、書き続けようと思う。なるべくこのような駄文は書かない様に、しかして、有益なことなんてとても書けないけれど。

 

 

統合失調症、この不可解な病(時に分裂病)

この二ヶ月、360度思考(ヴォワチュール・リュミエール思考)を生み出して、なんとか荒波を越えてきた。しかし、一昨日の超強烈なランダム発作により、脳がダメージを受け、なりを潜めていた強迫性障害が再燃してしまった。そして、ヴォワチュール・リュミエールで一旦退去させたものの、結局は抑圧されていたものが暴発してしまった。

精神分析的にはそういうことだろう。

そうして、今日、『鬼滅の刃柱稽古編』を鑑賞しに、嫁と映画館に向かった。

気持ちが強迫に引っ張られる中、二時間見ているうちに物語の力で、残り30分くらいヒールされ、少し楽になった。しかし、私は、この強迫を360度思考、ヴォワチュール・リュミエール展開によってクリアできると信じてそれを続けたが、限界が来てしまった。それで、最終手段であるフラッディングを決行することにした。

前回フラッディングを行った時は、全く勝ち目が無いものだと思っていた。

勝率0.1%以下だと思っていたが奇跡が起きて、超克できて、しかも360度思考が生まれた。しかし、今回は、策を弄することは無く、フラッディングに賭けることにした。私の中の勝率は100%!と言いたいところだが、少し遠慮して99.9%としておこう。

今回は勝てる。なぜなら既に360度思考はあるし、このフラッディング自体が新たな扉を開けることに繋がると思うからだ。私は、この病気を悪魔の病気だと思っている。

一度エッセイで入選した時、統合失調症と書かずに精神分裂病と敢えて書いた。

それは、この病に本当に憎しみがあるからだった。一旦選外になったのに、その後入選になった。どういう理由かは、分からぬが、現代において分裂病というのは、NGワードらしい。でも、その時は敢えてそう記述した。差別的な用語だというが、私は、それを逆に使おうと思った。何故か!本当に意味が分からないからだ。

スキゾフレニアはスキゾフレニアのままだ。誰が好き好んで好きな人や物を自ら捨てることがあろうか!何故好きな人や好きな物が恐怖になるのか!強迫になるのか!

そして、それを敢えて捨ててしまわねばならない者の苦しみが分かるか!?

と、ちょっと荒ぶって見せましたが、お気に触ったらごめんなさい。これは、事実のことで嘘偽り無い私の言葉であります。

兎にも角にも、フラッディングをしたので、もうそれで完全にクリアできると確信している。これでだめだったら、また別の思考法を考えるまで。

それにしても、不可解なのは発作だ。寝過ぎ、頭だけ使い過ぎ、強迫的思考があったとき、そんな時に起こりやすいが、予測はかなり難しいし、いつ出るとも分からない。予防的に頓服やラムネ(ブドウ糖)を取って対処しているが、起きる時はどんな時でも起きる。

これは、20年前元カノと付き合った時に生まれた症状でそれ以来苦しめられ続けている。駆逐するのは不可能で、付き合っていくしか無いが、対処法としては、なるべく身体を動かして、心も動かす様にすることだ。惰眠、過眠、は要注意。

だが、俺は勝つ!

 

 

何者かになるということ

社会で成功するにあたって何者かになることは、大事なことだ。

高学歴になる、医師になる、弁護士になる、公認会計士になる、トップアスリートになる、有名な俳優になる、大作家になる、大企業でトップを目指す。

そういった肩書を持つことで、他者にも認められ、自我も安定し、自尊心も保てる。

それが、世間一般でもてはやされる自己実現の確立だ。

けれど、そうなれる人は、この世界でも一握りだ。普通の人々は、それなりの社会的地位、それなりの夢、それなりの自己実現をすることで折り合いをつけている。

しかし、そこにもたどり着けない人はどうすればいいのか。先日、アニメ『ようこそ実力至上主義の教室へ』のレビューを書いた。この作品の舞台である高度育成高等学校は、卒業すれば100%希望の進学、希望の就職先に行けるという、高校だ。そこでは生徒同士の凌ぎ合いがあり、蹴落とされ、支え合い、上のクラスを目指すという生徒の営みがある。とても明瞭で痛快な物語だ。だが、現実はそんなじゃない。

もちろん、実力主義でのし上がっていく人もたくさんいるだろうが、大半の人は、自分の人生を守り、家族を守り、小さな自己実現を叶えて生きていくというのが普通だろう。しかし、上述したように、それにもたどり着けない人もたくさんいるということだ。私もその中の一人であることに間違いは無い。

私は、障害を背負っている中でどうにか自己実現しようともがいている。心理学が好きだから、臨床心理士を目指したいと思ったことが多い。しかし、いつ起こるかわからない発作が頻回にあることでW5H8で働けないのは、明確で諦めるしか無い。多分学力もそこまでは到達しないだろう。

ライトノベルが好きで、作家を目指したいと思って専門学校にも通ったが、長編一本も書けず、賞にも通らず、短編でくすぶっているのでは到底ライトノベル作家にもなれない。

最近は、心理学と好きな音楽を合わせて音楽療法士になりたいなどととのたまわっていたが、それも、モチベーションの低下とお金とやはりフルで働けないという制約のお陰で、実現はかなり難しくなった。

そんな私を含めた人たちはどう自己実現し、何者かになることができるのだろうか?そもそも何者になるということは、社会で成功を納めるということだけなのだろうか?

そうでない自己実現はあるのか。私は、昨日一晩中考えていた。だけど、私にはそうした世間一般でいう所の自己実現はできなさそうだと分かった。

だけど、私には、好きなゲームやアニメやラノベがある。そして、心理学も少しは力になるだろう。音楽も細々と続ける。それで十分だと思った。

そうして、このブログを書いていこうと思う。それだけで自己実現は可能だ。ブログ独立宣言というわけのわからない記事を書いたけれど、そうやって負け犬よろしく吠えていればいいと思う。むしろ鶏口となるも牛後となるなかれでいいし、アキハバラに通ってちっちゃな幸せをもらっていればそれで私は幸せだ。

何者かになる。それは、自分が決めればいいことなんだ。朝井リョウさんの『何者』を

読んでみようかと思った。

 

 

文章をものすということ

今日は、朝から犬が薬を誤飲し、急変してしまい動物病院に行くことになった。

 うちには、犬が二匹と猫が二匹いるのだが、最近メスの犬に腫瘍ができ、摘出手術をしたばかりだった。その犬に処方された抗生物質を兄のオス犬が私達が見ていない隙に、全て食べてしまい、そこから一時間ほどして様子がおかしくなった。それで、お互い休みだったおかげで病院に連れて行くことができて、診察を受けた。しかし、誤飲してから時間が立ってしまったのと、痛がるのは、誤飲のせいではなく、身体のどこかが、負傷しているのではということになり、レントゲンを撮るも異常はなく、結局痛み止めだけもらって処置は無く帰ってきた。帰宅してからもオスの方が悲鳴をあげるのでしばらくそっとしておいて痛み止めを飲ませた所、静かになった。今回は、私がエサ箱に入れていた薬をきちんと管理していなかったせいで起こったミスだったが、まずいはずの薬を食べてしまうとは思わなかった。全く私の監督不行き届きだ。しかし、痛がるのが薬の誤飲ではなく、別の怪我だと言うのは、ちょっと納得がいかない。朝の朝までずっと元気だったし、見ていない隙があったが、特にその時は痛がる様子は無かったからだ。ともかく何もなければよいが。

 そんなアクシデントがあったものだから、朝から私のメンタルも不調をきたして、不穏になっていた。連れが実母の病院の付き添いに行ったので、私は犬の様子を見ながら、このブログを書いている。ここからが本題なのだけれど、こういったできごとや不安が訪れた時、どう対処すべきかというと、それは、表題にあるように文章をものすることだ。つまり書くこと。そうすることで心が整理されて、思考がクリアになって、精神が落ち着く。やはり私には、文章が必要なんだ。音楽やゲームよりもまずは文章と接すること。書くだけではなく、読むことも大事だ。テキストでなくてもいい。小説とか読みやすい本を手にとって読むことも精神衛生上役に立つ。今は、よう実とSAOを読んでいるからそれに意識を集中する。

 なんだかんだ言って、文章を読み書きするのは心の安定に一番寄与するものだと思った。さあ、これを書いたら、犬の様子を見ながらもSAOでも読むとするか。