朱乃紅スキゾ日記

管理人朱乃紅の統合失調症の闘病記、雑記

お久しぶりです!

前回から一か月が経過してしまいましたね。

つくづく自分の継続能力の無さに嫌気がさします。

けれど、この一か月無為に過ごしていたわけではありません。

自分なりの戦いをし、自分なりの苦しみと自分なりの快楽を

味わって生きてきました。

そこで、見えたものは無駄なものではなかった。

一つ大事なことに、友の力を得ました。

これは、人生最大の人間関係の力です。

私は、恵まれて育ってきたせいか、一人に満たされていて、

友情には少し懐疑的でした。もちろん若かった頃はそれなりに

友を信じていたし、むしろ依存していた

とも言えます。ですが、この年になってまで、少年ジャンプのような

友情を描こうとしたことには、訳があります。私は、アニメが好きです。

それは言わずもがなのことですが、私にとってアニメは、友の次くらいに

大切なものです。そのアニメはどんな稚拙なものであっても、

友愛や正義を描きます。いや稚拙なものであればなおさらその表現は、

色濃くなります。アニメの愛情や友情は、絵空事です。

でも、だからこそ望むのです。その理念系を。

私は、アニメの理念を実現したいと願っています。

指から魔術が発するのではない、巨大ロボットが宇宙を駆け巡るのでもない。

ただ、その願うところを実現したいのです。アニメに対してファンやオタクが

望むところは様々でしょうが、私はアニメを現実のものとして捉えていきたい。

「アニメじゃない」って歌う私の大好きなアニメの歌詞がありましたが、

(もう30年くらい前になるのか!)まさに本当のことです。

P4G(ペルソナ4ゴールデン)はその人との絆です。私は、P4Gを

楽しむためだけにやるのではない。これをクリアすることは、ゲーム内で言う

コミュニティMAX。つまり、その人との絆(コミュ)をMAXにすることです。

そうして、もう一つ見つけたものは、IDですIDとはidentificationの略。

つまり、IDカードや番号などの識別や身分証明のことですが、私にとってのIDとは、identificationではなく、identity 自己同一性です。私は、その自己同一性が確立するべき時に病気になりました。アイデンティティクライシスとそれによって崩壊した自我が一緒だったのです。そのせいで、この年になるまで、自分のIDが確立していなかった。

それが、20年かけて出来上がったのです。ここに至るまで20年かかった。

その内容は話すべきものではありませんが、それでも自分の自我が確立したのは、

大きなことです。これで、最後のボスに立ち向かう装備は万全になりました。

あとは、最終ボスを倒すだけです。その強さは、最近の自分のはやりで言うと

「ヴァルプルギスの夜」並みの強さです。絶対に勝てない。最強の敵。

でも、私とてほむらのようにここに至るまでいくつものループを繰り返してきた。

もう、その連鎖は断ち切るべき時に来たのです。

それでも、ヴァルプルギスの夜は倒せないでしょうね。

円環の理に導かれぬまでは。それに神にはなれない。

例え自分自身の心の内戦であろうと、全てを包括はできない。

ならば、どう戦うか。言葉を発するしか無いと思います。

シニフィアンシニフィエ精神分析は私にとって難解な病を攻略する武器になりま

すが、まだ全然理解できていない中では使いようがありません。

けれども、言葉によって病を壊すというのは、分析としても間違ってはいないはずです。言葉は言霊とも言います。ですから、これから私は、できる限り言霊を発して行きたいと思います。嘘、偽りなく、言霊を発する。そんなことができれば、

ヴァルプルギスの夜を倒すことができるかもしれません。

そんなことは、絵空事に過ぎないのかもしれませんが。

 

魔法少女まどか☆マギカMusic Collection』 を聞きながら。

自宅にて。(朱乃紅)

今、やらねばならないこと

今日は、少し真面目な事を書こうと思います。

というか、自分の独白です。

私は、今自分がどうすべきか悩んでいます。40も手前に来ていて、

まだ、進路やアイデンティティに悩んでいるなんて、情けないことですが、

それでも、やはり、スキゾを背負った者として、それは仕方のないことだと

も思っています。孔子の言葉で「吾十五にして学を志し、三十にして立ち、四十にして惑わず。(以下続く)」と言いますが、四十も目前で惑いまくっているこの身に苦しみと悲しさを感じます。仕方のないことだとは分かっていても、この病気さえなければ、と思わずにはいられません。しかし、「それでも」と言い続けることは、大事なことだと分かります。この言葉は、私の大好きな『ガンダムユニコーン』のマリーダ・クルス中尉の言葉です。現状が困難極めていても「それでも」と言い続け、事態を少しでも好転させるべく努力する。それは、病気であろうとなかろうと同じ事です。

ですが、この身に宿る苦しみと言う名の病は、計り知れないものがあります。

私は、自分の半世紀をこの病と闘ってきました。将来をある程度約束されたはずの時期に突然襲い掛かってきたこの病は、私を苦しめ、心を引き裂いていきました。

それでも私は、持ち前の根性で(この病気で根性論は、否定されている)、行動し、

思考し、戦い抜いてきました。そして、ようやく現在の自分を勝ち取りました。

それは、仕事であり、人であり、夢であります。

でも、それでも(この場合のそれでもは違う)私の病状は好転しません。

確かに、急性期と言われる時期や、それを過ぎた安定したころの初期と比べれば、驚くほど良くはなりました。しかし、陰性症状と言われれる症状や、たびたび起こる発作や不安症は、今でも私を苦しめ続けています。

だからどうしろというわけではないのですが、私はこの統合失調症の身を含め、これから何を目指して何をしていけば良いのか、分からなくなってきたのです。

私には、アニメ文筆家(造語 アニメに関する物書きをする。 ライトノベル作家など)になるという夢があります。もちろん、それはまぎれもない私の願いです。

しかし、それでも日常では、極度に疲れ、時間を無為に過ごし、ほとんど何の成果も残せないまま暮らしています。こんなままでは、私の夢は実現されません。

だから、今私は何をすべきか考える時なのだと思います。文筆家になるには、書かねばなりません。こんな独白文ではなく、小説をです。しかし、私はサークルの冊子と、一回の投稿そして、学校時代の提出した作品などを経験してきて、どうも充実感を感じることがありませんでした。小説を書いていて充実しない。満足しないというのは、クオリティの部分を差し引いても小説家としてかなりの欠点だと思います。

それでは、私は何をすべきなのか。このまま、今の仕事を続け、ある程度の好きなことをして、発作や不安症をおこしながら、なんとか生きて行くことは、可能かもしれません。(まあ、60くらいまではですが。福祉をやっていた者としてはその後の末路が恐ろしい)しかし、それでは悔しすぎます。ここまで努力してきた結果が、それだと分かったら私は、おかしくなりそうです。

だが、どうすればいいのか分からない。私は、今まだ長編を投稿したことはありません。というか長編一本すら書き終えたこともないのです。

そして、書ける自信とモチベーションがとても少ないのです。

サークルで短編は書いている。けれど、それではプロにはなれないのです。

仮に投稿できたとしても、それが通る確率は恐ろしく低いです。

それでも、アニメ文筆家を目指すというのか。私は、わからないまま、今日を過ごしています。ここから先は自閉モードにします。

もし、何かしら活路が見いだせたらその時またお話できたらよいかと思います。

(紅)

 

 

なんか書きますかね。

大分放置していたので、なんか書きます。

どうでもいいことを徒然に。

そうだねぇ。最近は感動することが増えたねぇ。

例えば、今回のソチオリンピック

今回を最後の舞台に決めていた日本人選手が多かったせいもあり、

その喜び、嬉しさ、悲しさ、悔しさ。

それらが、あらゆるところに散りばめられていた。

フィギュアの真央ちゃん、ジャンプの沙羅ちゃん、それからモーグル

愛子。なんだか涙の方に比重がかかるけど、スノボの歩夢くんや卓くん、

ノルディックの渡部選手、そして、レジェンド葛西選手。

そういった歓喜の気持ちもあった。

それぞれが、背負ったものがあの場所に映し出され、発揮できた者、

出来なかった者は様々であったものの、それでも彼らは輝いていた。

毎回オリンピックには、感動と涙があるけれど、今回はそれがひとしおだった

ように思われる。

今回を機に現役を引退する人も続ける人もいるが、このソチオリンピックに参加した

ことは、きっとこれからの人生を豊かにするものだと思う。

戦いを終えた選手たちにお疲れ様と言いたい。

と、後はね、人との交流が最近とても滑らかなんだよな。

仕事でもそうだし、サークル、習い事、身内、そして、親友、なんだろう。年とったせいかな。人との距離の取り方が上手くなってきたのかな。

いや、それは無いな。未だに距離の取り方は下手。いっつも直滑降だからね。

でも、やっぱり、人との繋がりを感じるのは嬉しいかな。

俺は、人ってなかなか信じられなかった。だってうまくいかないことばかりだからね。

特にスキゾになってからは。でも、「それでも、と言い続けろ」ってマリーダさんが

言ってたように「それでも、それでも」ってずっと言い続けてたら、良くなってきた。

周りとの関係、個人的な関係。最近も嬉しいことがあったからこれを書いたってのもあるんだ。

今年は、始まって二か月たったけど、なんか様々なことが待ち受けてるんじゃないかなって思ったら希望が出てきたよ。それも、人があってのこと。

二次元の方もばっちし楽しんでいるし、三次元もこのまま上手くいくといいな。

ま、大抵ぼろが出るんだろうけどね。

てな感じで今日はお終い。また今度はテーマつけるようにします。

 

 

 

黙して語らず

とはいかないものですね。私は、このブログを始めて最初は、何かを常に書き続けようと思っていましたが、やはり、書くべきか、書くべきではないかと、思案しているうちに、書くきっかけを無くしたり、書こうとする気が削がれたりして、なんとなく不定期に書くようになっています。けれど、本当は書きたいことが山ほどある気がします。

しかし、その書くべきか書かぬべきかの壁で書かない方が多くなる割合が多いのはなぜでしょう。フロイトの言うところの夢の「検閲」みたいなものがここにはあると思います。ぶちまけたいことは、抑圧されて、無意識にしまわれますが、いろいろな形で現出するといいます。例えば、夢、私は恐ろしいほど夢を見ます。しかもそれをかなり明確な映像と、物語として覚えているのです。それもフロイトに言わせれば、顕在内容といって検閲を経た歪曲された記憶なんでしょうが、実感として違うのは、私の場合、夢がかなり具体的だということです。夢が願望の充足というところを実にリアルに再現する夢を見ます。だから、私は夢が恐ろしい。睡眠が浅いのでしょうか。夢はレム時の時見るといいますし。

次に症状でしょうか。これは、抑圧されたストレスが発作などになって現れます。だけど、夢ほど抑圧されているという実感が無いのは、覚醒しているから、他の情報が大量に流れ込んでくるからでしょう。それを処理できなくて脳が疲れてしまうというのが私の日常です。

それより、書きたいことを書けないというのは、私が臆病だからでしょうね。

いろんな軋轢を排して書き抜くことができない。これでは、物書きとしてはだめですね。ですが、こうして自己分析をしてそれで書くことによって、なにかしら書いたことになる。それが、次につながればいいのですが、と、こんなとりとめのないことを書いて今日は閉じます。

また、次には何か書けるといいのですが。

 

こんばんわ

何か別段書くことも思い浮かばず、それでも何かを書きたくて、この日記を書いています。私の中で最近変わったことはあるでしょうか。

そうですね、私の心の中はいつでも煉獄の様です。地獄ではない。けれど天国でもない。

煉獄というのは、罪の償いを果たしていない状態にある霊魂が天国に入る前に一時苦しみを受ける場所と百科事典に書いてありましたが、私の場合もそんなイメージなんでしょうか。とにかく天国に行けるかは分かりませんが、なんだか苦しみがつづいているのが私の心中です。

それでも、何か活路を見出したいともがいております。

今日、ニュースでシリアの和平会議が始まったと報じられました。

中東は混迷を深めています。人間の負の感情の中で一番最悪なものは、憎しみだと思います。憎しみは全ての者を傷つけ苦しめます。

ですが、人間は憎まずにはいられない。なぜでしょう。

私の読書体験、物を書いて行きたいと思ったきっかけの本は「人はなぜ憎むのか」(WHY WE HATE)という本でした。

この本では、様々な観点から人間の憎しみとは何かを探った本で、読みやすく、うなずくところも多かった気がします。

どうしてこの本を選んだか。それは、私も憎しみが強い人間だと思ったからです。

そうして、こうやって言葉を紡いでいるうちに少しづつ、こころがほどけて、

凝り固まった怒りが解けていく。だから、私は文章をかいているんだなと改めて思います。日中、日韓関係も進展しない中、我々は、憎しみをどのようにほどいていくか。

それを個人レベルで考えて行かなければならない世の中なのだと感じました。

まあ、私は、この病に対する憎しみは、消すことはできませんがね。

でもそれを消すことができたら、きっと寛解ということなんでしょう。

それではまた。

考えること

私は今日も取るに足らない一日を過ごしましたが、それでもそれなりに考えることは

あります。

どうしたら、夢を叶えられるか、どうしたら人と分かり合えるか、どうしたら、病気と付き合えるか。悩みは尽きません。けど、それでも考えることは大事です。

壊れた頭でもそれなりに考えることはできるのです。

考えることが一番ではありません。仏教でも考えないことが大事な時はあります。

考えることはいわば煩悩だからです。

けれど、哲学は考えます。徹底的に考えます。私は、どっちかというと後者の方だと思います。けど、本当は考えることなんて嫌いです。

考えなくて済むものなら考える必要はないです。

それでも考えるというのは、考えなければ道が開けないからでしょう。

悟りを開いて無我の境地に至っても、明確なヴィジョンがなければ、それはまたすぐに曇っていきます。

だから、嫌でも考えるしかないのです。

今日はタバコについて考えました。

私は十年ほど前たばこを吸っていました。ヘビースモーカーでした。

ですが、ある日突然止めようと思いました。それは、健康に悪いということと、運動に差しさわりがあるからです。私は運動が好きです。

止めると決めてから一本たりとも吸っていないのが自慢です。

しかし、それでもニコチンの依存は強く、夢を見るたびタバコの夢を見ていました。

今でもまだ見るので、私は時折、禁煙を止めてしまったのではないかと錯覚することもあります。そして最近私のタバコ愛を思い出させたのがアニメ『サイコパス』です。私は、この作品に痛く感動して小説を読んだり、アニメを観返したりしているところです。その作品の中でタバコがとても魅力的に描かれていて、私は再びタバコに火をつけたい気持ちになりました。最近の例だと、『風立ちぬ』もかなりタバコの描写がありましたね。あれは、宮崎監督のタバコ愛ですね。ちょっと物議も醸していた。子供たちが見る映画でもありますからね。かなり前だと『カウボーイビバップ』のスパイクの吸うタバコのシーンはかっこよかった。こう考えて今は喫煙者にはとても厳しい世の中になっていますが、それでもタバコには、ある種ニコチンの依存だけでなく、イメージとか文化の側面が強くあると思います。『スモーク』っていう洋画があったと記憶していますが、あれはその名の通りタバコが主題の映画で、それを取り巻く人間模様を描いていたのだとVHSのパッケージなんかで読んで、見てみようと思った時はタバコを止めていました。今見たらきっとタバコを再び吸ってしまうかもしれません。

そんなこんなでタバコについて語りましたが、考えることっていうのは、どんな時も大事です。苦難の時も、危機の時も、安寧な時も、希望の時も。

そうして、考えているうちに考えない場所まで辿り着けたら、それが本当の悟りなんでしょうね。私には到底無理な話ですが。

因みに、私はこれでもタバコを吸っていません。吸おうとも思いません。吸いたいですが。代わりに運動をすることにしました。何か身体を動かしていれば、タバコをくゆらす時間も気になりません。でも、運動の後が特に美味いんだよな。とほほ。

では。

(紅)

 

なんとなくブルーあと攻殻機動隊

まあ、そりゃそうだよね。飲み会でやらかしちゃったからね。

仕方ないよ。そういう時もあるよ。皆ごめん。m(__)m

けど、やっぱ代々木の面々とはもっと付き合っていきたいな。

裸の付き合いっていうかさ。

今度はきちんとやります。どう?どうってまあ俺らしくね。

ってああはならないよ。うん。

それはさておき、今は次の文フリに向けた執筆中なのですが、

なかなかノルマは達成できません。一日二枚なのに。

そうこうしているうち新作アニメが続々と。中二も始まっちゃったし。

やばい追いついてない。そんな中私は、まだしこしこと『サイコパス

を観返しています。やっぱりいいね。二周すれば理解も深まるし。

友人が『攻殻機動隊』に興味を持ったみたいで、昨日はその話をする

はずだったのですが、見事に爆弾投下してしまい、スプレッドボム状態。

そんな話すらできなかった。けど、俺に『攻殻』を語れと言われても少し

難しい。うん。難しいんだもの。内容が。

簡単に言うと、ウィキ見た方が早いけど、核戦争があった後の近未来の日本で

内閣総理大臣直轄(だよな?)の超法規的組織公安9課が様々な難事件を解決していくって話。

うーん。全然説明になってない。えとね、攻殻機動隊は、士郎正宗の漫画が

原作でそれを押井守が90年代に映画化して大ヒットして、アメリカのビルボードランキングに乗ったりして『マトリックス』にも影響を及ぼして、さらに押井塾の

神山健治さんが『攻殻機動隊S.A.C』っていうTVシリーズ(始めOVA)をやって、それもヒットして続編も次々作られ、最近になって公安9課の出来る前の話を冲方丁さん脚本で映画化したのが『攻殻機動隊ARISE』って感じかな。

とにかく、攻殻を見ようと思ったら押井守さんの『攻殻機動隊』見た方がいいかな。

難しいんだけど一番雰囲気掴めると思う。最近デジタルリマスター版出たはずだったし、あの時代にあれほどの作品が作られたと思うと押井さんは凄いなって思う。

俺はVHSの時代に見ただけで随分忘れてるけど。逆に親しみがあるのは『S.A.C』シリーズかな。一話完結の刑事シリーズものなんだけど、大きな伏線が張られていてこれが驚くべき程緻密に描かれてる。必見だね。まあ俺は神山さん押しなんだけどね。逆に『あらいず』からってのは面白いかもね。やっぱ最新のCGが使われてるし真新しい感じ。けど、過去作品に慣れている人は声優さんとか違うので少し違和感あるかもしれないね。俺は嫌いじゃないよ。初めはえ?と思ったけど。

そんな感じで今日はここまで。