私は、朱乃紅療法を公表する。
私は、この病気を記述し、克服し、書いて、書いて、書き抜いて来た。
そうして、ようやくこの病気を克服する、道を見つけたのだ。
論理性を身に着けること。あくまでも論理的であること。
破綻した文章でも、論理的であると考える。
それは、何故か。精神分裂病、統合失調症は、破綻した心の病気だからだ。
それでも、書き連ねることを旨とする。
精神分析、心理療法、私は、それらにシンパシーを感じる。
元々、臨床心理士のセラピーで私の病気は、悪化した。
だが、それを取り戻すにも心理療法が必要だった。
精神分析は、受けたことが無い。だが、斉藤環の本から始まって、精神分析に非常に
興味を覚え、色々本を読んだ。フロイトの精神分析入門は、読み切れなかったが、必ず、もう一度読んでみようと思う。
私が、読んだ精神分析系の本は、斉藤環の本と分析の概説書だけだが、それでも、何故か心の中に、精神分析は、息づいている。一度だけ行ったことがある、精神分析のセミナーも私を精神分析に思いを寄せさせる体験になっている。
ユングにも興味がある。集合無意識とか、錬金術とか、ユングのオカルティックな面も
あるが、ユングは、とても深い無意識の海に潜っていくような考えが、時折、音楽や、アロマテラピーで感じる、私の深い部分の自我を確認させてもらえる。
音楽の海に沈んで自分の真を感じるような時などは、そういったユングの世界に関わってくるような気がする。
そういうことで、私にとって精神分析や心理療法は、必要なものだ。
認知行動療法など新しい療法もあるが、断片的には体験したこともある。
それにしても、これらの療法をきちんと完全に私は、受けたことはない。
今の精神医療は、もちろん、認知行動療法などのワークも併用しているが、半分以上は、診察と薬物療法だ。もちろん、今の新薬は、劇的に効果を現すこともある。
しかし、私は、精神分析や心理療法に何か可能性を感じる。
だから、私は、独自に精神分析や心理学、心理療法を学んでいこうと思っている。
もちろん、私の夢は、ライトノベリストだから、それを主にしていくことには、違いない。だが、同時に自分のこの極限の病を克服しなければいけないという責務もある。
精神分裂病、統合失調症は、克服はできないとされている。完治は無い。
寛解という、症状が残っていながらも、日常生活ができるといった状態だ。
しかし私は、完治を目指す。いや、無理だ。無理に決まっている。分かっている。この二十年、それを実感してきた。だが、私は、私が編み出した二十余年かかって作り出した、療法は、必ず功を奏す。その基本は、記述だ。
あくまで論理的に、矛盾が無いように、破綻がないように。
そこに、矛盾や破綻が現れたところに私が治すべき症状がある。
書き連ねてきたノートは、もう100冊をとうに超えている。これからも書き続けるだろう。そして、今度は、このブログを書くという方法も効果を出すと思う。
ブログやツイッターを書き続け、消し続けてきた日々は終わった。
これからは、この場を使って、発信をしていこうと思う。
以上の文は、まとまりも無いし、論理性も破綻しているだろう。しかし、それを知っている私は、論理的なのだ。