朱乃紅スキゾ日記

管理人朱乃紅の統合失調症の闘病記、雑記

強迫性障害の認知行動療法(再掲)

私は、以前上記タイトルのセッションを受け修了しました。それで、見えてきたものはあります。まず私の強迫性障害(以下強迫)は、統合失調症との混合型なので、パターン化した認知行動療法だけでは対処できないことが分かっています。

そして試行錯誤の末私は、精神分析を取り入れることにしました。

精神分析認知行動療法は、どちらかといえば真逆、互いを忌避しているところがある様に思われてきました。認知行動療法(CBT)は、精神分析から離れていった人たちによって作り上げられていった経緯もあるようです。ですので相容れない様に思える。しかも、統合失調症の患者にとって精神分析治療は禁忌と言われている。なのに何故私は、精神分析を取り入れようとするのでしょう。それは、私の病の複雑性にあるのです。認知行動療法は、どちらかといえば、理解しやすく、使いやすい、例えるなら使い慣れたペンのようなところがあります。もちろん正しい使い方をしなければ、ペンは折れるように注意が必要です。しかし、精神分析は、筆のようなところがあります。一人ひとり全く違った筆跡を残すし、味わい深い、だけれど、簡便には使えないので難しいそれが筆だと思います。だから私は、CBTに精神分析的思考を取り入れて見たのです。

それは、とても簡単なようでいて難しい。以前私は、『認知行動療法精神分析が出会ったら』という本を読みました。精神分析の大家藤山直樹先生と認知行動療法の第一人者伊藤絵美先生の対談集でしたが、とても興味深かったです。その本で、実は認知行動療法は、精神分析の領域にも入っているということが書かれていました。それは、CBTでのスキーマ療法と言われる心理療法で、人間の心の奥にあるスキーマに迫っていくやり方は精神分析的だと思いました。ですから、2つは互いを拒んでいるようで、実は、意識しあっているというところがあるのです。

私は、CBTのセッションを受けている時に、いつも違和感を感じていました。私の病は、そんな方法では、解決できない、このままでは、私はいつまでも強迫にとらわれてしまう。そんな時、一つの決定的な転機がありました。曝露反応妨害法というわざと自分を不安や恐怖の対象に対面させるCBTの方法を使ってのことです。例えば加害強迫なら街を歩いて人にすれ違うと殴ってしまうのではないかと恐れてすれ違った人を何度も確認してしまうというようなのが強迫性障害で、曝露とはその確認を5回していたのを1回にして我慢する、そして最終的には確認しないで通り過ぎるというようなことをやるのが曝露反応妨害法です。健康な人には理解が難しいとは思いますが、本人は本当に殴ってしまったと思っているので、その確認を減らすことはとても辛いのです。

ただ、上記のような強迫の人には理由がはっきりとあります。すれ違ったら殴ってしまうという明確な恐怖があるのです。でも私の強迫はそれが無かった。どういうものかと言うと、好きな人と付き合うと好きなのに理由もなく苦痛になり、別れたくないのに別れるという強迫で、何故苦痛になるのかが全く分からなかったのです。それをずっと考えていました。そしてふと分かったことが、そこに「欲望」があるからだと分かったのです。上手く説明はできないのですが、文章にすると「好きな人と付き合うと”欲望が現れ”苦痛になり別れる」ということです。

分からなかった理由が「欲望」というキーワードで私の中にストンと落ちたのです。

それは、とても精神分析的経験でした。それから、私は、色々な強迫がその欲望という言葉で理解することができるようになりました。だから、私は、時々認知行動療法の実験シートを使います。大体の理由が「欲望」が原因です。もう、既に手遅れですが、別れてしまった好きな人たちに対して抱いていたのが強迫であり、欲望であると今ようやくわかりました。失った人たちに対しては、本当に筆舌に尽くし難いものがありますが、私は、今後もCBTと分析を上手く利用して、生きていこうと思います。

この日記も一つの曝露反応妨害法です。私は、ネットが苦手です、でも発信したいことがある。だから、欲望と上手く付き合っていきたいと考える所存です。