前回の記事から大分日が経ってしまった。というのも、私の中で色々な変化があり(江の島旅行も含む)、それをまとめるのに一ヶ月以上が必要だった。個人的には音楽の道に進むか、文章で生きていくか(プロアマ問わず)で逡巡していた。
今年は、私達の文芸サークル『代々木果実混合(よよぎフルーツミックス)』が結成15周年を迎える。5周年、10周年の時は、メンバー総動員で記念冊子を作成して購入者に頒布したり、書き手も多く、気合が入っていた。しかし、さすがに15周年。記念冊子の予定は無く、通常の冊子の販売となる。というのも、ここまで存続させるだけでも一苦労だった。しかし、文章表現に熱い心を持つ平修(たいらおさむ)くんの熱い執筆意欲やサークルの宣伝活動。多忙ながらも最初期から伴走してくれている広報担当黒井和(くろいなごむ)くん、両名のお力添えで何とか15年保たせることができた。もちろん、山登りや旅行に参加してくれるメンバーや新年会に参加してくれるメンバーがいることで、この代々木果実混合は成り立っているとも言える。なので、現メンバー10人、皆に感謝している。
その中で、私の目指すべき処もどう変化していくか、この一ヶ月悩みまくった。
音楽の道というのは、ミュージシャンやアーティストという訳ではなく、音楽療法士を目指そうと考えていた。というのも心理学や精神分析が好きだし、音楽も少しばかり齧って続けている(ギター、ピアノ)からそれを活かしてみたいという気持ちが強くあった。また、フリーソウルを聴き続ける中でスライ&ザ・ファミリー・ストーンに出会い、強く惹かれ、音楽的に変容体験をした。
それで先月の終わり頃に音楽療法学校のオンラインセミナーがあり参加した。通常の音楽療法と少し意を異にしていて、施設でのレク担当の様な療法士ではなく、即興演奏でクライアントを癒やすセラピストを養成する学校だった。ドイツの大学と提携していて、アカデミックな内容の音楽療法だ。特に私が好きな精神分析を使った音楽療法ということで興味は俄然湧いた。それで事前にその学校の先生が出版した本などを読みセミナーを受けたが、思っていた通りの内容だった。私は、この道に進もうかと考えた。しかし、立ち塞がるのは、私の症状である。発作だ。授業は月2回の土曜日朝10時〜夜の19時まで。それを三年半。一度もランダムに起こる発作を起こさず通い切る事は事実上不可能に近い。まして、万が一セラピストになれたとしてセラピー中に発作を起こすセラピストなど仕事にはならない。発作自体大分減ったがもう生理現象の様になっているし、後数カ月や一年などで治せるものでも無い。私は断念した。
残された道は、文章の道だ。私は、これを明確には定義していない。プロとしての物書きを目指すのかそれとも代々木果実の様な場所でアマチュアとして生きるのか。
この辺について私はそれ程こだわっていない。プロになれたらそれはそれで嬉しいけれど、厳しいだろう。プロになれなくても、代々木果実混合を存続させ、平くんや黒井くんと火を灯していく。それから、こういったブログの様なデジタルの媒体で発信を続ける。それで、十分満足だ。というのも私も平くんの様に、文章が自分の身に染み付いているからだ。音楽も大好きだが、それ以上に文章にシンパシーを感じている。だからこだわらないのだ。発作を起こすか起こさないかは仕事上大きな問題だけれど、文章を書いていくことに関してはそれはそれ程大きなハンディキャップにはならないと思う。それに16年続いている今の仕事を継続させる為にもこっちの方が都合がいい。
そう一ヶ月悩み抜いて漸く答えが出た。音楽療法は取り敢えず、体験レッスンを予約したのでそれは受講しようと思うが、私の進むべき道は変わらないだろう。
それで、私は11月の文学フリマに向けて筆をとった。構想は既に1年以上前から練っていた。今回の作品は、少々危険なものになるだろう。しかし、私は書き切ろうと思っている。十五周年という節目だからではないが、奇しくもそういう年になった。
世界情勢は相変わらず厳しい。それを反映させた作品になるだろう。だが、あくまでも私の書く作品はライトノベルだ。フィクションだし、エンターテイメントだ。だけれど、その中に、自分が発信したいことを練り込んでいく。江戸時代、幕府政権下の人形浄瑠璃の様に。自分の意見や発想を自由に表現する。それはこの国で許されている。もしそうでない国だったら私は、罰せられるかもしれない。日本に生まれてきて良かった。そう思える作品にしたい。表現も想像も。アマチュアだからこそ発信できるという自由もあるかも知れない。逆にプロだったら無理だろう。ともかくそういう作品に今取り掛かっている。
緊迫した世界情勢の中で、私の様な凡庸な一小市民がどの様なことができるだろう。だが、少なくとも表現の自由が許されているこの国で、私は、言いたいことを言う。それを封殺されるのならば、この国の自由はまやかしということになる。