朱乃紅スキゾ日記

管理人朱乃紅の統合失調症の闘病記、雑記

何故、統合失調症を前面に出すか。

私は、X(旧Twitter)でも、ブログでも統合失調症という物を、一番最初に書いている。プログのタイトルもスキゾ(分裂)を使っている。それは、何故か?パフォーマンスではない。アピールしたいわけでもない。ただ、それが事実だということだからだ。私は、1995年。あることをきっかけに心を壊した。そして、それからは、壊滅的な出来事が次々と訪れた。崩壊は、音を立てるように始まり、全てを破壊し尽くしてしまうまで続いた。だが、私は、辛うじて人としての感情を保ち、狂気に陥らない様に堪え続けた。それは、功を奏した。発作という副産物を残して。だが、発作は、いつ起こるか分からない。脳を酷使した時に起きやすいが、それでも、ほぼランダムに起こる。狂的な思考と、身体(特に顔面)の異常。それは、全く持って恐ろしい症状だ。恐らく一生消えることは無い。それにより多くの夢を諦めてきた。しかし、私は、30年前にタイムリープすることで、1995年の事件を無くすことに成功した。心は、再構築されて、あの時選択しなかった世界線を選び直すことを可能にした。それは、心においてのみ実現できた実験。だけれど、脳のダメージと起こした出来事を変えることは、不可能だった。私が叶えることができたのは、1995年の分岐を変えること。1995年の前の1993年に捨ててしまった、ガンズ・アンド・ローゼズを取り戻して、自分の自我を強化すること。自我心理学だろうか?コフート?いや、私は、あくまでもフロイトだ。しかし、そんな事は関係無い。寧ろシュタインズ・ゲートと言ったほうが言いえて妙だ。

兎も角、私は、1993年の時間を取り戻した。そうしたら、私には、未来が広がった。

失敗をやり直すことは、出来ない。人は言う。だが、私は出来た。

人生をやり直すことができたんだ。全て心の中においてのみ。

それでも、発作は起きるし、認知機能も回復しない。でもいい。私には、ガンズ・アンド・ローゼズがあって、そして、記述する力があって、強い肉体がある。

これからは、ガンズ・アンド・ローゼズを基本に置いて、HR/HMを聴いていく。そして、物を書くことを続けて、働いていく。大きな野望は潰えた。だけど、いい。ガンズと書くことと、仕事があれば生きて行ける。仕事は、年々厳しくなる。身体の衰えと、認知機能の障害。だけど、気にするな。アクセルだってまだ頑張ってる。

私の中のGUNS N’ ROSES を完成させるために、代々木果実混合を存続させる為に、仕事を続けるために。俺は、頑張る。統合失調症患者というスティグマを乗り越えて。

 

三度の青ブタツアーを経て。


昨日、青ブタ(青春ブタ野郎シリーズ)の聖地巡礼ツアーをソロで敢行してきた。

空は晴天。そして、気候も穏やか。最高の旅になった。

青ブタの聖地巡礼をするのは三度目で、一度目は、今年の春に、代々木果実混合(文芸サークル)のメンバー三人と訪れ、二度目は、その時に行けなかったメンバーの平くんと訪れた。そして、今回は、ソロ。つまり一人だ。何故、一人で行ったのか。それは、自分の中で色々総括しようと思ったからだ。最初の三人で行った時は、めっちゃ盛り上がった。初めての聖地ということもあってその日も天気は最高だったし、皆、青ブタの予習もバッチリだったし、江の島で食べた生シラス丼は最高だったし、古賀朋絵の告白シーンの展望台や、咲太の事故の場所、それから、七里ヶ浜は、「彼女ができました」をちゃんと砂浜に書いて、写真を撮ったし、江ノ電で沢山話したことや、ずっと飲んで酔っ払ってたメンバーも面白かった。そして、その時は私もゾーンに入っていて、もちろん認知が欠損はしているんだけど、全体が見えていて、お酒を飲んでいないのに、酔っ払ってるくらいの勢いだった。最後はお決まりのデニーズに行き、軽食を摂って、ともかく楽しかった。

二度目のツアーは、その時に行けなかったメンバーの平くんと出かけた。今、青ブタの映画(ディアフレンドの夢を見ない)が上映しているが、9月は青ブタサマーフェスがやっていて、藤沢、江の島で色々なイベントをしていた。私は、ビックカメラのポップアップショップや、藤沢駅の地下で催してる展示をどうしても見たかったので訪れる計画を立てた。しかし、ツアー当日大きな地震があって、電車が止まっていて、危険だったので延期せざるを得ず、一番見たかった青ブタの言葉展に行けなかった。しかし、次の週、計画を少し変更して、藤沢に向かい、平くんと待ち合わせた。ビックカメラには、めっちゃ魅惑的なグッズがあったり、藤沢駅の地下には、各キャラクターの沢山のタペストリーと説明文が展示されていてめっちゃ上がった。その後は、サマーフェスの会場から離れて、徒歩で藤沢を回った。本当に感動したのは、朋絵と尻を蹴りあった、御所ヶ谷公園だ。本当にアニメそのものの公園で私は尻を見せて平くんに写真を摂ってもらった。それから大正橋など、藤沢の閑静な住宅街を眺め、最後は、デニーズ。花楓のオムライスは絶品だった!

その二度のツアーを経て、昨日、私は三度目の青ブタツアーに行った。ソロだった。何故ソロなのか。もちろん大勢や、タッグで巡礼するのは楽しい。だけど、一人で訪れる聖地は、何か特別な感じがして、そして、やっぱり自由度が高い。自分の認知が多少欠損していても誰にも迷惑は掛けないし、失敗してもやり直せる。そして、キャラとの親和性は一人だとずっとアップする。(咲太と麻衣さんがそこにいるかの様な)だからソロで行くことにした。前日まで、迷っていた。一人で江の島に行っても淋しくて虚しくなるんじゃないか。早々に退散してしまうんじゃないかと思っていた。しかし、前日に親友と話して、「明日行ってくるよ!」と言ったのもあって心を決めた。

東海道線に乗って、初めは藤沢を通り過ぎて辻堂に行った。青ブタるるぶがあったことで本当に重宝した。辻堂のショッピングモールでスイートバレットがライブをやったステージは感動だった。私以外巡礼している人もいなかったので、それがより嬉しかった。辻堂はそのくらいにして藤沢に戻って、JR藤沢駅に着いて、そこからビックカメラ藤沢店に向かった。前日に撤去されていると思った高校生の翔子さんの大きなのぼりがまだ残っていた!すぐさま写真を撮って収めた。感無量だった。それから、ビックカメラで今、デジタルスタンプラリーがやっていたのだけど、その日は、江の島の湘南キャンドルに行くことが最終目的地だったので、水族館は、行く予定が無く、諦めた。でもビックカメラ藤沢店には、ちゃんとまだ青ブタのコーナーがあって、夏来た時とは、グッズのラインナップが違っていたけど、良いのがあったので、麻衣さんのクリアファイルとのどかのアクスタをゲットした。それから、私は、小田急江ノ島線に乗って湘南台駅に向かった。始まりの地、藤沢市総合市民図書館に行くためだ。駅からは結構歩いた。そして、図書館に付くまでの道すがら、まるで咲太と花楓がそこにいるような気がした。お昼は、コンビニでおにぎり2個だけ。店員さんがとても親切で嬉しかった。

図書館に着いてカウンターで撮影許可証をもらって人が入らないように館内を撮影していたら、まるでバニーガール姿の麻衣さんがいるような気持ちになった。それが終わってからは、私は、少し脳が疲れたのでベンチで休んで、から小田急の駅に戻った。電車に揺られて、国見と双葉の三人が会った本鵠沼と鵠沼海岸に降りようと思ったが、身体は全然余裕だったが、脳が疲れていて諦めた。そして、片瀬江ノ島駅まで行って江の島弁天橋を渡って江の島に到着した。一度行っているから、全く不安にもならなかった。その日の最終目的地は、ディアフレンドの夢を見ないでも美織とのスポットになっているサムエル・コッキング苑で行われる湘南キャンドルというイベントとそこで17時から流される麻衣さんのアナウンスを聴くことだった。しかし、思いの外早く着いてしまったため2時間位時間が余ってしまった。スマホのバッテリーがほとんど消費されていることに気がついてvitaのモバイルバッテリーで充電するためにベンチで一時間半位待ち続けた。江の島は、連休のためかもの凄い混みようで外国人観光客も多かった。16時までベンチで粘って、バッテリーも70%まで回復したので目的地に向かった。YUIの歌にもあるからエスカーにも乗ってみたかったけど、やっぱり足で登った。直ぐに到着して、喫茶店に入って、麻衣さんが写ったコラボコースターをゲットして、17時少し前にサムエル・コッキング苑に入場した。ステッカーが不備があって貰えなかったが、17時の麻衣さんのアナウンスを聴いて感動した。帰り道も迷わず江ノ電に乗って帰路に着いた。濃密な、充実した聖地巡礼ツアーだった。一人でも十分楽しめた。寧ろ自由な気がした。皆や友人と来る聖地は、とても楽しい。盛り上がる。だけど、一人で行く聖地は本当に特別なものがあると知った。青ブタは、今回の映画で完結した。だけど、私の心の中に青ブタは息づいている。また、皆と来るかも知れないし、また、一人で来るかも知れない。それから日常に戻った。

 

 

思い込みと思いつきと思い切り

思い込みってのは、本当に怖い!あの人が、あの子が、自分のことを好きかも知れない!そう思ったら、妄想のドライブが作動しだして、どんどん、思い込んでいく。そんで、多分!あの人は、あの子は、私の事が好きなのかも知れないって、とんでもない勘違いをしてしまう。夢に出てくるようになったら、もう、アウトだ。完全に間違ったことを信じてしまっている。そうなる前に、思考の練習をしておこう。あの人やあのコやあの方は私の事などどうとも思っていない。ただの石ころだ。と。まさにローリング・ストーン。そうしなければ、とんでもない、間違いを犯すことだってある。そうやって、事件になったりすることは、ニュースやネットを探せばキリが無い。毎日の様に事件は起こっている。それは、自分の勘違いから起こっていることを自覚すべしだ。

もう一つ、思いつきってのは、良いこともあるし、悪いこともある。

思いつきで言ってみたことが結構いい方向に転がったりすることもある。だけど、思いつきで言ったことは、図らずも人を傷つけることも多々ある。注意すべし。

でも思いつきで考えたことがもしかしたら大きなうねりになることもある。私は、1993年にタイムリープしたと思っている。そんな馬鹿なって言われるのは当然だ。牧瀬紅莉栖に簡単に論破されること間違いなし。だけど、私の心は、1993年にタイムリープ出来たんだ。身体や記憶、起こった出来事は、タイムリープもタイムトラベルも出来ない。だけど、心は、タイムリープ出来ると私は、分かった。だから、私は、今から1993年を生き直すことができた。1993年は、2026年に繋がって、そして、やり直しが可能なのだと分かった。だから思いつきってのは、転じることがある。

最後の思い切り。それは、決断力と言っても良い。やってみても良い、やった方が良いということをやる、ということ。もしかしたら、間違っているかもしれない。失敗するかもしれない。そう思っても直感に従ってやってみる。それが吉と出るか凶とでるかは、神のみぞ知る。だけれど、やらないで、くすぶっているよりは、やった方が良いと今の私は思う。もちろん、その決断の責任は全て自分に降り掛かってくる。

よくわからない、単純な記事を書いたけれど、月に1回はブログの更新は、物を書く者として必須だから書いてみた。これも、思い込みと思いつきと思い切りの無せる業だ。

 

視覚素子と嗅覚素子と聴覚素子。それから草薙素子。

前回身体症状と精神症状について述べたが、今回は、五感の中の、視覚、聴覚、嗅覚について話そうと思う。味覚、触覚については、あまり私にとって議題でないので、除く。

先ず、視覚だけれど、この三つの中で一番直截的で記憶にも残りやすいと、誰もが思うだろう。実際、戦争や事件。そうでなくてもそういった画像や動画を見た人の心に刻まれてトラウマになったり、心に傷を負ったりする。人間は睡眠中、夢というものを見るのでそこでも視覚優位の記憶や思考が刻まれる。これは精神分析のテリトリーだ。

実際私も夢を毎日見る(ほとんどの人が毎日見ている)けれど、年齢と共にその記憶は曖昧になって来た。若い頃は、日中になっても覚えていた夢が最近は、起きた瞬間に忘れていたりする。ここで早くも攻殻機動隊を出すけれど、S.A.C.(スタンドアローンコンプレックス)で、インターセプターというマイクロマシーンを視覚に注入して、人の目を操るっていう話があったけど、人は目で見たものを信じやすいという特徴があるように思う。それは、最初に言った様に、視覚は一番直截的だからだ。

でもここで、嗅覚に話を移そうと思うが、私の体感では、五感の中で一番記憶と結びつきやすいのではと思われる。どこかで嗅いだ匂いや臭いというものは、忘れがたい。私は、ジャスミンティーを飲む度に過去の恋を思い出す。もう、とうの昔に終わっているのに、何故か、この匂いをかぐとフラッシュバックの様に思い出が蘇りそうになる。それはもう、私は捨てたいのだけれど、勝手にそう思ってしまうので仕方がない。香水の匂いは特に強烈に思い出と結びつく、瑛人だっけ、シンガーソングライターが、ドルチェアンドガッバーナの香水のせいだ。と歌っているけど、やっぱり香水は、記憶に結びつきやすい。それ自体が恋を連想させるアイテムだからそうなるのだろうけど。

更に話を進めると最近分かったことなのだが、聴覚。私は、三つの中で一番弱い感覚。記憶や感情に訴える点において、そうだと思っていたけど、人は音楽を聴く。聴かない人や聴けない人、聴きたくない人などいると思うが、エンターテイメントの中で音楽は、映像かそれ以上に人の感情に訴えると思われている。映像も音がなければ、その魅力は半減する。私も音楽をずっと聴いてきた。幼、小、中、高。そして、大人になっても様々なジャンルの音楽を聴いた。でも、音楽の感覚というものは、私は、アイデンティティの危機と共に、より形骸化していた。つまり、音楽を感覚で捉えるより、よりファッションやお洒落と共に選ぶようになっていた。(その点に関しては、以前に音楽療法学校の記事に詳しく書かれているのでお暇な方は、ニつ前の記事をご参照ください。)

それが、五十を過ぎて、三十年前の音楽に触れた時、奇跡というか、圧倒的な変化が訪れた。私の音楽、聴覚は、三十年前を呼び戻し、まるでタイムリープしたかの様に、私を蘇らせた。私は、ハードロックやヘビーメタルが好きだ。その感覚が戻って、私は、壊れた心も再生できたかのようだ。特にガンズ・アンド・ローゼズは、私に強い心を蘇らせた。

一番弱いと思っていた感覚が、実は、自分の根幹にこんなにも影響を及ぼしていたのは、驚きだ。そうすると、心理療法では廃れているような音楽療法というものも、やはり、何か力を有しているのだろう。

ということで三つの感覚と心についての考察を記した。

最後の草薙素子というのは、オマケで、でも素子は、全ての感覚において優れた存在なんだと思う。もちろん全身義体で脳以外は作り物。だけれど、その身体をまさに超感覚の様に使いこなす素子というのは、やはりスーパーウーマンなんだと思う。

ゴーストという、第六感みたいなものも有しているのだからな。もちろん、ゴーストは人間が普遍的に持っている魂みたいなものだけれど。

「そう囁くのよ、私のゴーストが」という素子の台詞で筆を置く。

 

身体症状と精神症状

今、風邪を引いている。参った。仕事も休みが続いている。ただでさえ、精神の病気があって仕事を休むことがあるのに、加えて、身体の病気が加わると、途端に欠勤が続き、仕事に穴を開けてしまう。まあ、それだから、障害者雇用枠で働けているのだけど。肉体的にまあまあキツイ仕事だから、年とともに少しづつ身体も悲鳴を上げている。足の痛みは最近辛くなって来た。凌ぐ為にもっと身体を鍛えないといけないが、風邪など引けば、すぐさま動けなくなる。ところで、身体症状と精神症状という題目をあげたけれど、今回は、実体験と見聞からそのことについて話そうと思う。

先ず、今引いている風邪。身体症状といえばそうだ。喉が痛くなり、咳が出て、痰や鼻水が出る。今そういう症状。しかし、私の場合それだけでは無い。私には、精神症状で発作というものがある。これは、頭脳労働の後に起こることが多いが、後はランダムに起こる。あまり予測は出来ない。だからしんどい。しかし、それ以上に、この発作が、風邪とミックスするとヤバい状態になる!これは本当にヤバくて、一度救急車を呼んだこともあるし、救急外来で診てもらった事もある。どんなにヤバいかと言うと、発作の症状は、過呼吸、鼻腔、瞳孔拡張に、異常な表情(顔)などが起こり、思考は、極端にマイナス傾向になり、精神の防波堤が決壊したりするのだけど、そのレベルは、様々で、軽いものだと、頓服薬で落ち着いたり、ラムネを食べて収束したりするけれど、風邪の症状がミックスするとそのレベルが一気にMAXになる。まともな状態は維持できなくなり、思考は最悪のバッドモード尚且つ、強迫性障害が加わってくる。そんな時は、どうしようもないので、頓服を飲んで横になるしかない。が、私にとっての親友カウンセリングが最も効果があるということは、最近明確になった。だが、ともかく、これが身体症状+精神症状の私のミクスチャー現象だ。だけれど、身体と精神と言ったって、元々はボディとブレイン(脳)なのだから、厳密に言ったら切り離すことは出来ないのは当然の事。精神分析が好きな私とて、現代医学を否定することは無い。他に事例というか友人からよく聞くことは、天候と精神症状の関係だけれど、これは、かなり万人に通用する事柄だ。ことに気圧と体調の変化は、精神の障害などを持っていない人にも多く影響を及ぼす様だ。雨の日に体調が悪くなる、そういう友人は健常、そうでない人でも多く聞くことだ。でも、これは、外界と、精神、及び身体の症状だから、また、別の分類になるのかもしれないけれど、これで苦しんでいる友人は、親友含め、少なくない。

他には、外傷から精神症状を起こす事もある。最近ニュースでタイマンで喧嘩させられた少年がブロックで頭を殴られ、そこから精神病に至ったというケースも聞いた。知り合いにも外傷からそうなったという話は聞く。

総じて、身体と精神というものは不可分なものなので、別々に考えることはできないけれどやっぱり、脳には別次元の精神というもの措定する自分としては、やっぱりこの風邪と精神のミックス現象というものは、不可解であって、不快であり、また、親友の言葉で軽快するという、逆に興味深い現象でもある。もちろん、こんなものは無いに越したことはないけれど。ともかく、早く治ってくれないと、職場に迷惑を掛けてしまう。文学フリマまでは大丈夫だろうけど、一日も早く治したい。

 

私と音楽の関係

音楽療法の学校の願書に書いた文章です。

音楽療法士になることは、諦めました。しかし、音楽と私の関係は続いて行きます。

せっかくだから、ここにその時提出しなかった文章(加筆修正した)を掲載します。

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私と音楽の関係は、遡ると幼少時にアイドルのピンクレディーが好きだったところから始まると思います。それから幼稚園に入って少し楽器を使った習い事をしていました。

小学校に入ってからヤマハ音楽教室に入ってピアノを習っていましたが、ほとんど身が入らず、中学一年まで続けていましたが、その時に弾けたのは、「エリーゼのために」だけでした。しかし、音楽への興味はずっとあって、当時爆発的なヒットを飛ばしたファミリーコンピューターのゲーム、『ドラゴンクエスト』のBGMが好きで、小学五年生の頃、母と一緒に東京のサントリーホールにオーケストラのコンサートを聴きに行って、とても感動した覚えがあります。その後、小学六年生の時にアニメ『機動戦士Zガンダム』に夢中になって作曲家三枝成彰さんの作った劇伴の交響曲をCDで購入して幾度も繰り返し聴きました。そこから40年経って先日その三枝さんのZガンダムの交響曲が奇しくもサントリーホールで演奏され、それを聴きに行ったのは運命的なものを感じました。中学生になってからは、ロックバンドBOOWYにハマって聴きまくって、高校に入ってからエレキギターを購入して軽音楽部に一旦入りましたが、人前で演奏する度胸が無くてすぐにやめてしまいました。

それからは、アメリカのハードロックにハマってガンズ&ローゼズやミスタービッグ、モトリークルー、ボンジョビ、クイーンなどに夢中になっていました。特にガンズ&ローゼズは、好きすぎてカセットテープが切れるまで繰り返し聴き続けていました。そして高校三年生になった時に、クラスのカリスマ的男子に憧れて近づき、友人関係になりました。その人は、いつもクールで超然としていました。そこに惹かれて彼と話すと彼の音楽的趣向が分かりました。彼が聴いていた音楽は私が全く知らない、60年代や70年代のロックやソウルミュージックでした。彼のファッションや佇まいが私にはまぶしく見えて、私は、自分が聴いていたハードロックなどが恥ずかしいものだと思うようになりました。当時は、渋谷系といってそういった音楽やクラブミュージックがかっこいいものだという風潮もあったのです。

私は、高校三年間で勉学もまともにせずハードロックだけを聴いていたので、学力も最底辺で、肉体的に力のある同級生から嫌がらせを受けていたこともあったので、その反動で、浪人生になってから朝から晩まで勉学に励みました。同時にそのカリスマの人とも関係を続け、私も彼の様な人間になりたいと、自分の音楽のアイデンティティを見つけようと躍起になりました。本当は、私にとっては、ハードロックが私のアイデンティティだったのに、私は、それを恥ずかしみ。違う私を探しました。それで、彼の真似で70年代のロックなどを発掘していきました。ビートルズ、ボブディラン、ローリングストーンズ、そして、ザ・バンドやグレイトフルデッド。しかし、どれも私には、しっくり来るものが無かったです。それはそうでしょう、ガチガチのハードロックが好きだったのに、そんなお洒落なものが肌に合うはずはないのです。学業の方は努力の甲斐があって、何とか大学に合格することができました。大学に入ったらかっこいい音楽をやろう!そう思っていました。しかし、私は、その音楽スタイルの探求からしてアイデンティティクライシスに入っていました。大学に入ってからも孤高でいようと思いましたが、周りが近づいてきて、ある友人ができました。その人は、私が当時ビートルズの様なヘアースタイルをしていたから、自分と同類と思って近づいて来たのです。彼も昔のソウルミュージックなどを聴いていました。しかし、彼は、高校時代嫌いだった暴力的な人と似たような人でした。

これ以上は、分析の領域になるかもしれませんので少し、急ぎますが、私は、その友達と破局しました。その原因は、私が自分のアイデンティティを確立する為に、彼を打ち負かそうと最後通告のような事を告げて、相手を傷つけた事でした。私は、意図して人を傷つけたことがほとんど無かったので、その攻撃は自分に向かってきました。それから私が破局していきます。止まれなくなった私は、中学時代からの親友にも敢えて酷いことをして、絶縁し、そして、例のカリスマとも別れました。全て自分のアイデンティティを確立しなくてはいけないという激しい気持ちからでした。特にカリスマとは、当時流行っていた怪しい自己啓発セミナーに誘われて大きな金額を払わされ、それが原因でした。その後大学の同級生とも全て関係が破綻して、スクールカウンセラー(臨床心理士)のカウンセリングを受けるようになりました。しかし、カウンセリングは私を苦しめるようになりました。そして私は、発病しました。親に連れられ病院に行くと精神分裂病(当時)と診断されました。そこから地獄の日々が始まりました。

話を音楽に戻します。私は、多くの友人と破局して、例のカリスマとも別れていましたが、音楽に関しては、引きずっていて相変わらず、当時のクラブミュージックを聴き続けていました。ハードロックや劇伴を聴いていた時の様な気持ちよさは無いものの、私は、アイデンティティをそこに見つけようとしていました。大学は退学しました。何もかも失って、私は、めちゃくちゃになり、家で寝続ける日々が続きました。精神科の受診は続けていました。

薬を飲むと体が動かなくなり、怠くて眠るだけでした。そんな中少しだけ回復してきてバイトを始め、私は原点回帰で好きだったアニメの声優を目指すことを考えバイトで貯めたお金で養成所に入りました。人生が戻ってきた感覚で私は、音楽ではなかったけど、演技や、発声、ダンスの練習などに励みました。しかし、病魔は巣食っていて、その時、同期の女性にぞっこんになり、告白をしましたが、彼女には既に相手がいて、振られました。諦められず、ずっと引きずって、恋愛感情に溺れていきました。病気は悪化して、養成所を退学しました。

当時は、アニソンや声優の歌を聴いたりしていましたが、それでも、かっこいい音楽というものを探していました。デビュー当時のMISIAに熱をあげ、そこからブラックミュージックを聴くようになりました。アリシアキーズやデスティニーチャイルドなどを聴き、ラジオのソウルトレインを聴くようになりました。

キリが無いので、端折りますが、その後は、これもクラブカルチャー的なボサノヴァをやりたくなって、ヤマハに通ってクラシックギターを習ったり、しましたが、これも身に着かなかったです。その後紆余曲折あって、病気になって三十年が経ちました。現在五十歳です。人生の半分以上を病気と過ごすことになってしまいました。精神科に通いながら、デイケアに通い、ヘルパーの資格を取ってグループホームで働いたり、デイサービスで働きました。介護福祉士も取りました。中退した大学も通信の大学に編入し卒業しました。現在は、障害者雇用枠でホームセンターで働いています。ここで十六年になります。

精神分析についてお話すると、二十年前くらいに斎藤環医師の著書『戦闘美少女の精神分析』に感銘を受けて、それから精神分析にとても興味を持つようになりました。斎藤医師の著書も含め色々な概説書を読みました。どんどん、精神分析が好きになりました。ラカンも知りたくなって入門書を読みましたが、理解不能です。そして、最近ようやくフロイトの『精神分析入門』を読了しました。理解は30%と言ったところでしょうか。今は、『夢判断』を読んでいます。

音楽は、たまたま手に取ったCDで、新たにシンガーソングライターのYUIがとても好きになって再び音楽教室でギターを習い始めました。3,4年前からです。時々発表会でYUIを演奏したりします。それから、最近ピアノも始めて、絢香の曲を弾き語りなどしました。しかし、私の音楽的趣向は、90年代を引きずっていました。ここ数年で、自分の感覚が変わってかつての渋谷系が私の肌にようやく合うようになりました。ですが結局、私の音楽的体験は、あのカリスマからの影響、そして90年代のクラブシーンに取り付かれているのでした。30年も経っているのにです。

それで、最近その部分に悩んでいた時、本当にこれでいいのか?と自問自答し、思い切ってガンズ&ローゼズを久々にじっくり聴いてみました。そうしたら、不思議なことが起こりました。何とも身体に信じられないくらいフィットするのです。マッチすると言っていい。ディストーションの重く掛かったエレキギターの音、そして、8ビート。時に16ビート。ソウルやジャズの様な複雑なリズムでなく。シンプルなロックのドラム。私は30年掛かってとうとう本当の自分の音楽に再会しました。やはり私は、ガンズ&ローゼズが最も好きで身体に合っていて、そして、私の音楽の基礎なんだと分かりました。そうしたら、呪縛から解かれて自宅にあった同じくハードロックのミスタービッグを聴いてみました。もう、私は嘘偽りなくこの音楽が好きなのだと理解しました。ハードロックが私の音楽の一番の基礎でそこにYUIが来て、それが、ソウルミュージックに繋がる。そうすることで私は失った30年を取り戻し全てが地続きになる感じを覚えました。今では、アニソンも聴くし、劇伴も聴くけれど、私の原点はハードロックにある。今それを何の衒いも無く言える。そして、YUIからソウルミュージックへ流れていくスタイルというのは、私の彷徨した30年の音楽の旅路を終わらせてくれそうです。最近は、またスライ&ザ・ファミリーストーンがとても気に入ってCDを集めていました。サブスクリプションで無い所が私の年代を物語っています。これは、ハードロックとは全く違います。ファンクだけど、リズムの複雑さ(壊れているような)は、ぴか一です。しかし、それを好きになりました。私は、ハードロックを原点に置きながらも彷徨い歩いた音楽の旅路をソウルやファンクに繋いだのです。それを地続きにしてくれたのは、ガンズ&ローゼズ。そして、ミスタービッグなどのハードロックでした。これからは私はハードロックをめちゃくちゃ聴くでしょう。メタルにも手を伸ばすと思います。しかし、それでもソウルやファンクは、これまで通り聴くでしょう。やっぱりあのブラックミュージックのカッコよさは、唯一無二です。音楽的センスを磨くためにも聴く必要があります。長くなりましたが、これが私の音楽との関係です。

そして、私は、精神分析を読んで、そして、心理学にも興味を持って、音楽も少しばかりやって行く中で、自分の病気も含め音楽療法というものに興味を持つようになりました。しかし、調べていくと、音楽療法の仕事は、音楽療法学会の資格を取ったのにも関わらず、老人施設でのレクリエーションにほとんど絞られている実態を知りました。私がやりたい音楽療法はこれではないと思いました。それでも、やはり、音楽療法は、音楽と心理学を使うというので日本音楽療法学会認定の学校にも入ろうかと考えましたが、その時、インターネットの検索で知ったのが貴校の臨床音楽セラピストでした。私の大好きな精神分析と音楽を組み合わせた療法があるんだ!と知り、いてもたってもいられず門を叩いたところです。精神分析は、現代医学会では、廃れていると聞きます。DSMにももう載っていないと聞きました。私の様な病気の者には禁忌とも言われているそうです。AIが凄まじい勢いで世界を席巻して、量子コンピューターで精神病が解明されるかもしれない時代にもなりました。それでも、私は、精神分析が好きですし、音楽が大好きです。とても人間的だからです。

これが私と音楽の関係です。

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その後、学校の体験会は受けましたが、この学校に入学することはありませんでした。しかし、私はこれを熟慮したお陰で、断絶した30年を結節することができたのです。

Connect  1995 to   2026

 

ユニコーンガンダムというもの

昨日、お台場のダイバーシティにある機動戦士ガンダムUC(ユニコーン)の主役機

RX-0ユニコーンガンダムの実物大立像の展示が終わった。

私は、三日前のファイナルセレモニー(この日は現地には行っていない)から昨日までユニコーン立像を追いかけ、そして、拝んで、それからお別れしてきた。

ユニコーンガンダムというものは、一体何だったのだろうか?

それを間違いなく言えば、作家、福井晴敏さんが書いた小説『機動戦士ガンダムUC(ユニコーン)』原作の古橋一浩監督が映像化した同名のアニメーションである。

その主役のモビルスーツの立像がお台場ダイバーシティに屹立したのは、2017年である。この地には以前は、初代のガンダムが立っていて、既にお台場のランドマークになっていたが、その後に立ったユニコーンガンダム(以下ユニコーン)に私は特別な思いがあった。機動戦士ガンダムユニコーンの読書は遅々としていたが、アニメーション化されてからは、もうその魅力に首ったけになった。当時は、地元のシネコンなどでは、上映されず、毎回新宿ピカデリーまで行っていたし、そこが一杯のときは、大宮にも行った。同時販売されるBlu-rayディスクをゲットすることも目的の一つだった。

そのユニコーンガンダムがお台場に立つと知って私は、興奮を抑えきれなかった。

歴代ガンダムの中でもユニコーンは、Zガンダムに次ぐ私のお気に入りである部分ナンバーワンであると言っても過言ではない。そのストーリー性、思想、映像のクオリティー、演じる声優さんの素晴らしさ、そしてカトキハジメさんのモビルスーツの造形。本当にこのユニコーンは、私の第二の青春を縁取っているかも知れなかった。最も記憶に残っているのが渋谷のBunkamuraで行われた、最速上映&朗読劇、ミニコンサートだった。まず、最新の映画が上映され、感無量で私は誰より先に拍手をしたが、それがうねりになったのは、もう言葉に出来ない。そして、6話で終わる予定だったユニコーンは7まで上映されることになったのを聞いた時は震えが来た。そして、声優さんたちの朗読劇、ミネバ役の藤村歩さん、バナージの内山昂輝さん、そして、フル・フロンタル役の池田秀一さん、リディの浪川大輔さん。素晴らしい劇だった。そして、澤野弘之さんのミニオーケストラもあって、史上最高のライブだった。原作の福井晴敏さんも出演されていたのもまた凄い幸運だった。そんな思い入れのあるユニコーンだから、私は、お台場に設置されてからも何度も足を運んだ。それから、しばらく足は遠退いたが、横浜の動くガンダムなども観たりもして、これもまた良きものだった。

そしてその思い入れある実物大ユニコーンガンダム立像が今年2026年8月31日を持って撤去されることになった。私は、いてもたってもいられなく、8月30日の夜の演出を観にお台場に向かった。これが、最後となる。だからしっかり目に焼き付けようと思った。会場には沢山の人だかりが出来ていた。19時の回の演出で私は、場所をミスって映像が見れなかった。だが、そこでも感動的なことがあった。その前の日のセレモニーでバナージ役の内山昂輝さんがユニコーンがこれからもずっと皆様の心に残ってほしいと言っていたのと澤野さんがユニコーンはずっと残っていくと言っていたこと、それを覚えていたのだが、私の後ろに立っていた親子の小学生くらいの子どもが最初の演出が終わった時に発した言葉。「あぁ!やっぱりユニコーンは最高だな!ガノタの心を鷲掴みにしたよ!」とおよそ小学生とは思えない発言をしていて、びっくりしたのだが、同時にこれでガンダムはずっと安泰だな。ずっと世代を超えて引き継がれていくのだなと思った。それから、21時30分の回まで、休憩を挟みながら全て見終えて、動画も撮って(スマホがボロくて全部撮れなかった)観客の人からは拍手と喝采が聴こえた。

それで、ユニコーンガンダムというものとは何だったのかとふと思った。

ユニコーンが屹立している場は、大勢の人がひしめきあっているのに、少しも苛立ちとか怒りの様なものを感じなかった。皆場所をそれぞれ、譲り合って、自分で確保して、それで人々が穏やかにその人工物を眺めている。人工物なのに、大仏を拝んでいるような。いやそんな神性ではないんだけれど、緩い連帯みたいなものを感じた。ユニコーンガンダムの話自体戦争の中でも何か殺伐としたものではなく、人の心と命の大切さを描いている稀有な作品だ。だからかもしれないけれど、このユニコーンガンダムがずっと立っていれば戦争って起こらないんじゃないかとまで思えてきた。最早信仰である。しかし、そのユニコーンにも終わる日が来た。作品自体はずっと残って語り継がれていくだろう。それはさっきの例をあげたように文句を付けることの無い事実だと思う。だけど、お台場のダイバーシティ東京に立ったユニコーンはこれで最後だ。私は祈るような気持ちで、お台場を後にした。