朱乃紅スキゾ日記

管理人朱乃紅の統合失調症の闘病記、雑記

今日も今日とて風が吹く(江の島観光など)

連日、台風や、それに伴う気温の変化に翻弄されている方も多いのではないでしょうか?こんにちは。久々の投稿です。

5月は、GWのハサウェイオールナイト上映から始まって、平くんの文学フリマ、甥や姪との会合などがあり盛りだくさんでしたが、それのみには終わらず、後半は、ZAQちゃん、藍井エイルさんのミニライブがあり、最後は、代々木果実混合の『代々木果実は、江の島の夢を見ない』ツアーで、サークルメンバーと、藤沢〜江の島〜七里ヶ浜巡りをしてきました。なので、本当に盛りだくさんでしたが、とても充実した一ヶ月でした。

特に江の島観光は、事前の雨予報からは想像も出来ないくらいの晴天に恵まれ、青春ブタ野郎シリーズの聖地をこれまでかというくらい堪能してきました。この旅は、ただの観光というだけではなく、『青春ブタ野郎シリーズ』の聖地を巡ることで普通の旅が二倍いや三倍以上に楽しめたことです。事前に作品の鑑賞をおすすめしていたのですが、私と女子のメンバーは、元から青ブタのファンで、2周は観ているので、完璧かとおもっていましたが、男子の黒井くんが全シリーズを網羅して、挙げ句私達よりずっと完璧にトレースしてきたのは驚きでした。寧ろ彼から教えられることが多かったという顛末です。もう一人の男子メンバーの子は、原作組でアニメはあまり見ていなかったのですが、文字だけのインプットなのに、聖地や場面をはっきりと伝達してくれたことにも驚きでした。さすがプロです。彼はずっとお酒を飲んで陽気だったので、飲まない私達も楽しくなりました。お世話していた黒井くんは大変だったでしょうけど。(笑)そんなこんなで藤沢から始まったツアーは、江の島に徒歩で向かい、辺津宮でお参りして、朋絵の告白シーンの展望台で写真をとって、たこせん食べて、麻衣さんの桃ジュースを飲んで、生シラス丼を食べて満喫して、江ノ電に乗って、七里ヶ浜に行き「彼女できました 咲太より」と砂浜に書いて、藤沢に帰還。そして、最後は咲太たちがバイトをしていたデニーズに寄って、色々談義を交わして、ハイタッチで別れました。めちゃくちゃ充実していて楽しい旅でした。

そんな感じだったから、発作も運よく起きず、帰りまでずっと心は踊っていました。

その旅から私は何かが変わった気がします。それは、明確に意識出来るわけではないのですが、階段を一段昇った様な、不思議な体験です。心が強くなったというか、病気が少し良くなった様な、そんな感じです。旅は人を成長させるというのは、確かなことなのかも知れません。そういう事があってから、私は、今の所順調です。何度か、フラッディングも敢行して、リスキーなこともありましたが、概ね順調です。

という訳でまた、皆と旅行に行きたいと思うし、また、企画を立てようと思っています。そして、秋の文学フリマも少し先ですが、そろそろ準備を始めようかと思っています。今回の作品は、ちょっと気合が入っています。どう転ぶかわからないけど、脱稿できるよう少しづつ準備していこうと思います。

 

 

『閃光のハサウェイキルケーの魔女』終映に向かって。

GWが終わって、平くんの今回の文学フリマも終わって、祭りの後。

『機動戦士ガンダム閃光のハサウェイキルケーの魔女』が終映に向かっている。

私は、この映画を最初に見たのが2月の頭だったが、その時の感想をここに書いた時、

「世界最高峰のアニメーション映画は、世界最高の映画だった!」と述べた。その気持は今でも変わっていない。確かに世界最高の映画はちょっと贔屓目に見すぎているかもしれないが、それでも私の中では、少なくとも世界最高峰の映画だと断言できる。

それでなければ、8度も同じ映画を観ることは無い。そう。私は、今回のハサウェイを8度劇場に足を運んで観た。通常版3回、IMAX版1回、ドルビーシネマ版1回、4DX  版1回、スクリーンX版1回、そして、極めつけは、逆襲のシャア〜ハサウェイ1、2の三本立てオールナイト上映だった。そう8度。これは私の映画体験の中でも初めてのことだ。大好きな映画でDVDで見返している『王妃マルゴ』ですら5,6回しか観ていない。それを劇場でというのは、本当に稀有なことだ。それだけ、今回のハサウェイにはハマった。因みに一番良かったスクリーンは、最後の新宿ピカデリーのオールナイト上映での映像も良かったが、ドルビーシネマが至高の体験だったと思っている。映像の精緻さと音響が素晴らしかった。少し、黒が強すぎて画面が暗かった。そこだけが残念だったが。さて、その閃光のハサウェイキルケーの魔女(以下ハサウェイ2)だが、今年1月30日からのロングランになって興収も27億を超えて前作の22億を大きく超えた。SEEDの50億は驚異的だし、ガンダムではないネトフリの映画『超かぐや姫!』の快進撃も凄まじいが、それでも大ヒットと言っても過言ではないだろう。ガンダム映画といっても、ハサウェイは、マイナーというか、玄人受けの作品だからそれが、これだけのヒットを放てたことは、作品の完成度の高さとSNSを通した宣伝効果の賜物だろう。それでは、この映画の何がファンの心を掴むことになったのだろうか。それを少し考察してみたい。

まず、一つには、この映画のリアリティーである。実写と見紛える程の美術、それから、現実には再現不可能なモビルスーツがまさに存在しているかの様なメカニックデザイン、極めつけは、ジャパニメーションの良さを最大限に発揮したキャラクターデザインだ。この映像だけで三杯の飯が食える。そして、もう一つは、難解な富野由悠季監督の原作と齟齬を起こすことなく映像化した村瀬修功監督の手腕だ。富野監督の独特な台詞の言い回しはそのままにそれを違和感無く声優さんたちに演技させる。まさに匠の技だ。そして、往年のファンへのサービス精神を失わない、ガンダムワールドの地続き感。これこそ私達が求めていたものだ。三つ目は、一つ目と重なるが、臨場感である。今をときめく劇伴作家澤野弘之さんに音楽を担当させたことは、間違いが無かった。澤野さんは、ガンダムUC(ユニコーン)でも、音楽を任されていて素晴らしい仕事をしたが、今作でもその音は、十二分に発揮されている。その音が湧き立てる映像とのコラボレーション。まさに臨場感がアトラクションレベルだった。初め観た時は、ここはディズニーランド?と見紛える程だった。これだけには留まらないが、最後には、人間を描ききったことだろう。戦争という、今まさに世界で起こっている現実と、フィクションである映画との近接感。そこで繰り広げられる人間どうしの争い、葛藤、悲惨、悲哀。それを描ききったのは、まさに村瀬修功監督とそのスタッフたちの凄まじい努力の賜物だと思う。映像化不可能とまで言われていた今作をここまでの完成度で作り上げた村瀬監督たちには最高の賛辞を送りたい。こうしてハサウェイ2は、まもなく終映するだろうが、3、つまり三部作の最終幕への期待値はこの2があったことで最高潮に高まることは間違いない。かつて私は、富野監督の小説版を読んでそのラストを知ってはいるが、これを村瀬監督はどう料理するのだろうか?既にラストは決まっていると村瀬監督は言っていた。それがどんなものになるのか、私は、多分ハサウェイ2の円盤を買って、それを何度も観て、首を長くして待つことになるだろう。ハサウェイの結末がどの様なものになったとしても私は、それを受け入れ、そして、自らの人生の糧にしようと思う。それができるのは、この閃光のハサウェイという最高の作品が持てるパワーがあってこそなのだから。

 

 

 

平修くんの新作『夕暮れの詩』(先行販売)を読んで

今年のゴールデンウィーク5月4日に迎える文学フリマ東京42、それに出店する、我々のサークルメンバーで、今は、個人サークル『平屋書店』として出店している平修くんの新作詩集を文フリ出品前に入手することが出来た。厳しい暮らしの中でこの冊子をいち早く私に届けてくれた平くんに感謝して、少し感想を述べようと思う。

詩集なのでネタバレとかではないが、この感想文が、今度の平屋書店の売上げに少しでも貢献できれば幸いだ。

先ず、今回の詩集『夕暮れの詩』は、過去最大のボリュームがある。これだけの詩を一年足らずで書き綴れる平くんの創作意欲に感嘆すると共に、年々その技量が高まっていることにも感心する。過去作『夜行の詩』と『暁の詩』から今回の『夕暮れの詩』は三部作になっていて、それぞれ、夜、朝、夕の様に設定されているが、一つ一つが夜昼晩というわけではなく、平くんの思考が夜から始まって朝に続き夕暮れへと収束していくという意味と私は捉えている。その一日の流れをもう一つの縦軸で流れるのは、春・夏・秋・冬。四季だ。平くんの詩は、季節の流れにとても敏感で、文学フリマ自体の参加が、春の一回(秋は代々木果実混合のサークル参加をしてくれている)になっていることで丁度一年をまたいだ詩集として完成しているのだ。なので、読者は、四季折々の平くんの心の変遷を感じ取ることができるだろう。

そういう縦と横の流れに平くんの繊細な機微が一つ一つの詩に描きこまれている。

平くんの詩というのは、そういった季節の流れだけでなく自己の内省の深さが魅力だ。

自分をことごとく責め尽くしたりするが、それでも希望を抱こうと必死の足掻きをみせる。まるで深層心理に潜っていくような感覚を覚えるとともに、また同時に世界という広大な地平を美しいものとして見ようとする平くんの優しさの様なものも感じられる。

一つ一つの現象を大事に観察して、それを記述していく平くんの詩は、まるで風景画の様でもあり、自分を描く肖像画の様でもある。『夜行の詩』、『暁の詩』、そして今回の『夕暮れの詩』。平くんの筆致は作品を追うごとに研ぎ澄まされている。三部作の集大成だが、今後も平くんの創作活動に注目して行こうと思う。

最後に一つだけネタバレを。この詩の中で私が好きだったのは、『美しさ』という題の詩だ。私も物を書くものとして共感を覚えた。その詩の中で、文章や本には「その人の人となり」が見えたり「隠れた一面」が見えたりするからそれを知れることに特別感がある。と平くんは書いている。そして、元来平くんは人が好きで、それで人を求めて、そして人に傷つく、またその逆もあるだろう。私は友人として、それは、よく分かる。そんな色とりどりの想いが綴られているのが今作『夕暮れの詩』だ。もし、今度の文学フリマ東京42(東京ビックサイト開催)にお越しくださる方がおられましたら是非とも平くんの個人サークル『平屋書店』のブース(南3−4ホール「う‐46」)まで足を運んでくださることを、文芸同志としてもお願いいたしたく思います。私も微力ながら売り子として参加させてもらいますので、今度のゴールデンウィーク5月4日は、是非とも文学の祭典文学フリマ東京に遊びにいらしてください!沢山の文学の煌めきに会えると思います。bunfree.net

 

 

炎のオープンダイアロガー!

喋れ!喋れ!と親鸞か法然だったかが言った。今日から俺は、喋ることにする!

葉に衣着せぬとは言えないが、出来うる限り喋ろうと思った!

それは、私が敬愛する先輩に私が強烈な発作になった時、私は、先輩に電話をする。

そして、意味不明なことやらなんやらを話していると、次第に症状は収まり、そして、話は、どんどん広がって、最後には強迫の話なんかしていないということが起こるからだ。これは奇跡だ!オープンダイアローグだ!と思った。つまり対話に依る治療。しかし、私は、尊敬する斎藤環先生が日本に根づかそうとしているオープンダイアローグを始めるつもりは無い。今の所。色々制約もあるし、ちょっと面倒なことが起こる可能性もあるし、だから、今一番私の中で、効果がある治療法はきっとオープンダイアローグだと思う。けれど、私はそれに取り組まないで、自家製オープンダイアローグをやろうと思ったのだ!つまり、色んな人に喋りまくれってこと。元々喋り上手という訳ではないけど、空気を読むのには長けている。よってpM型のリーダーをサークルで続けている。得意技は、爆弾投下。(笑)

ちょっと破天荒なのよ。私。だけどね、15年続けてきたわけ。うちのサークル。よく続いたもんだよ。皆の支えあっての実績だけどね。

そんなこんなで私は、炎のオープンダイアロガー!(出たよ、またお決まりの自称宣言)とかなんとか、どうでも良いけど、沢山喋ろうと思うよ!これからは。

ブログも結構間が空き始めているからね。もっとさ、言いたいこと自由に言ってもいいんじゃない?って感じ。今日は仕事が終わってから先輩の所に行って、ダイアログ(対話)してきた。コーヒーご馳走になって他愛もない話して、先輩は少し疲れ気味だった。私は、少し興奮していたので、うざかったかもしれない。

とにかく、制約を断ち切って喋りまくろうと思います!

 

愚行を繰り返す者。それは私。

私は、過ちを繰り返す。愚かな人間です。しかし、それでも、前に進もうとするのは生の欲動がある故か?リビドーが私の源泉。しかし、それだけでは無い。死への欲動があるのか?ともかくがむしゃらに生きている。そうすることで、私は、強迫の恐怖を打ち消し、理想となるニルヴァーナに向かおうとしているのか?だが、幻影は消えない。それは、幻覚、幻想。私が精神病故の症状なのか?内なる恐怖と対峙するには、ハサウェイ・ノアの現状と重複させればいい。そうすれば、アムロ・レイは顕現し、己の敵を認識させる。どこかに敵がいるというのは、現代の世界の常識になりつつある。仮想敵。昔はそう言った。しかし、今は、それが仮想では無く現実の相手として明確にはっきりとした輪郭を持って存在する。そんな危うい世界に生きる人間として、私は、物申さずにはいられない。「物言わぬは腹ふくるる業なり」昔の人はそう言った。言わないで妄想に苦しむより妄想ならば言ってしまえば良い。そうすれば、それは、言霊となって、現実のものに変化する。私は、何度同じ過ちを繰り返しても、必ず立ち上がる。そうして、決して壊れない独白者になる。(ギギ・アンダルシアは、絶対に間違えない独裁者が世界を統べるべきと言った)こうしてここまで生きてこられたのは、私に現実の肉体があったからだ。思念体になって人間は生きることは出来ない。女神転生では思念体は存在するし、人間の究極の最後の生命体は思念体になって宇宙空間を漂い続けることと、昔の未来予想のテレビ番組で見たことがある。だが、私は、肉だ!肉ある故に生存を認知でき、またそれを謳歌できる。銃夢では、肉に存在価値を求める女(バイオロイドの様な)に主人公ガリィは、「ソーセージ女!」と揶揄した。それは、ガリィが真に精神的存在だからだろうか?はたまた、電という存在は、「我怒る故に我在り」と言った。思うより、強い感情は怒りだ。私もそれを持っている。だが、何があろうとも私はこの肉体に依って自分を克己する。超えるのは、精神より肉体だ!肉体の力で精神の閾値を超えると少し前に言った。もしそれが叶えば、私は、精神的存在より強固な自我を確立できる。もちろん、それは、有限であるからして、死と共に消える存在になるだろうが。結局は、精神分析的なのだ。フロイトを超えることもラカンを超えることも、私には出来ない。けれど、そのに僅かな希望があれば、私は、いつだって飛び越える自信はある。明日は、ドルビーシネマ版のハサウェイを鑑賞しに行く。とても楽しみだ。そうやって世俗の楽しみを知っていれば、生きることさえ無駄では無いと確信できる。

 

精神分裂病と強迫性障害

私は、今、強迫性障害と闘っている。因みに今の医学用語では、強迫性障害とは言わず、強迫症という。もちろん精神分裂病などと言う言葉は、廃止された言葉で、タブーである。が、私は、敢えてそれを言う。何故なら、私は、強迫に障害され続けてきたし、精神分裂病に敵意を込めてそれを呼ぼうとするからだ。文芸思潮のエッセイで入選した時、一度は落選したのに、その後入選した。タイトルは、『怒りと憎しみの精神分裂病』多分、この言葉が社会通念上禁忌だったからだろう。では、何故そう呼称するのか。それは、実際、私の精神が分裂したりしているからではなく、この苦しみに相応するのは、統合失調症などという曖昧な言葉より精神分裂病という方がより強固なイメージがあるからだ。もちろん、それ故、患者への偏見を避けるため、呼称の変更があったのだが、この病気は、そんな生易しいものではない。強迫性障害の方は、強迫神経症と呼んでも良かった。フロイディアンとしては。でも私が認知行動療法を使って一番最初に対決した時がその名を強迫性障害と呼んでいたから今でもそう呼ぶ。私は、その二つの病を有している。

今、精神分裂病は、鳴りを潜めている。いや、強迫性障害に飲み込まれて、より強い症状が強迫性障害により現れている。強迫性障害の時に起きる発作は、確かに分裂病様の症状を呈してくる。大きく口を開けて、眼球は開き、口角はバッドマンのジョーカーの様に引き裂かれるように上がる。これは、強迫というより分裂の症状の様な気がする。思考は、最強度の強迫状態になり、鈍麻し、気狂いの様な感じになる。しかし、それでも、私の自我は、それより強く、人前でそれを晒すことは無い。誰かに救いの手を差し出して、いつも親友の先輩が私を救ってくれる。先輩と30分位話していると心がまともになって先程の症状も薄らいでいく。まるで魔法だ。どんなカウンセリングより効果的だし、増悪化を止められる。そのまま放って置いたら、先程の症状が2、3時間は続く。

そして、その強迫性障害とは、どういうものかは、以前書き記したと思う。上記の症状も以前書いているのでくどいと思われる方は読み飛ばして頂いても構わない。

とにかく、今回は、コロナからやられた。私の強迫症状は、風邪症状とミックスすると最凶度の症状にグレードアップする。コロナだったため、何度も発作が起き、その度に強迫に苛まれているうちに、精神の閾値が下がった。自分を守るダムが下がって、ストレスが一気に流入してきて強迫が起こりやすくなってしまった。それから、閃光のハサウェイを観て救われたものの、それにまつわる本やグッズを買ったことからそれが強迫になった。実家に避難させたり、思考を巡らせて何とか対処したりしていたが、収まらず、一ヶ月以上の強迫状態が持続している。その中で仕事に行くのは正直キツイ。しかし、昭和生まれの根性論を信奉する私は、働く中で、解を見出そうと仕事に出る。働きながらもずっと強迫に苛まれているのだから負荷は二倍だが、今、私の職場は火の車の為、出ない訳にはいかない。だけどそうして、根性で乗り切って行くと見えてくるものがある。これは、根性で乗り切れるものなのかもしれない。と。だが、そうは問屋が卸さない、でも、不謹慎だが、こういう見方もある。もし、今戦争状態になったら、この国が。そうして、戦争に行かなくてはならなくなったら、私の強迫性障害は治るかもしれない。その確率は高い。だけれど、実際戦争になったらまた、別の精神病を患うことになるだろう。フロイトは戦争神経症と言った。PTSDとかだ。だから、こんな考えはナンセンスだ。私は、実際今戦争しているんだ。五木寛之さんは、インナーウォーと言った。心の戦いだ。実際世界では、第三次世界大戦の危機と言っても過言ではない、状況が続いている。横暴な独裁者、覇権主義、軍事侵攻、ありとあらゆる戦争犯罪がはびこって、本当に危険な状況だ。それでも、日本は、平和を守らなくてはいけない。唯一の被爆国として、絶対に戦争しない国としてそれを守り続けなくてはならない。今の政権は危うい。だけれど、多くの国民が支持しているのだから、政治家にはしっかりと外交や内政をやってもらい平和を維持してもらわなければならない。大混乱の経済も建て直さなければならない。今まで進んでいたグローバリズムが逆転して、内向きの自国第一主義に変わったと思ったら、その国が、戦争を始めてしまった。どこで、止めることができるのか。私達には何が出来るのか?私は、こんなちっぽけな強迫性障害で悩んでいる場合なのだろうか?でも、話を戻して、インナーウォーに戻ろう。そう。心の戦争、物理的な戦争もあるが、精神的戦争もある。個人にもあり、集団にもある。今、私は、極個人的なインナーウォーを戦っている。他人から見れば下らない、取るに足らない、戦争かもしれない。だけれど、私にとっては、大事な戦いなのだ。この戦いを勝ち残ることで、一気にヴューが広がる。私は、ここを橋頭堡として、色々なことに目を開くことができるだろう。そして、今までやれなかった多くのことが出来るようになるはずだ。だから、戦わなくちゃならないし、勝たなくちゃならない。そのための武器は、精神分析だ。勝とう。

 

何も書かないとどんどん筆が鈍る。

ハサウェイの記事を書いてから一ヶ月近く書けないでいた。それは、強迫性障害が、猛威を振るって、私の色々なものを阻害していたからだ。Xも放置したり、時々書いたり。Xは、まだチェックだけは大事だと思ったから何とか繋げてきた。しかし、ブログが書けないでいた。というのもこの愛機を実家に置いてきてしまったからだ。何故実家に置いてきたのかというと、手元にあると強迫性障害を誘発するからだった。どうもバカバカしい私の病気は、色々なモノに波及して、、モノを持っていられなくなる。そういう時実家に避難させるのだが、もう今まで色々と置いてきた。小説、ゲーム、ホラー映画。一体私の病気は何なのだろう?

だが、この愛機が無いと、私はブログが書けない。dアニメストアも見れない。(スマホでは観たくない)だから、意を決して、回収することにした。それで、朝に強迫は起きるのだけど、今、私には最強の歌がある。それは、アニメ『悪役令嬢は隣国の王太子に溺愛される』の主題歌、op『愛のファンファーレ』とed『魔法の音』高垣彩陽feat.城田優だ!『愛のファンファーレ』は、もうハッピーのてんこ盛りで聴いているだけで、気持ちが上向く!『魔法の音』もしっとりとしたバラードで、深く優しく包んでくれる。実は!私は、このアニメをしっかり観ていない(ごめんなさい!)だけど、嫁が観ていた時に、この主題歌を聴いたら一瞬で虜になった!高垣彩陽は、昔から好きだったけど、声優さんならではのくっきりとした輪郭のボーカルにハイトーンボイスが素晴らしい!城田優は言わずもがな厚みのある低音と、イケメンすぎる声がもうおじさんの私ですら恋をしそう!(笑)そして、ダブルA面である、edの『魔法の音』は、高垣彩陽が、opとは、別人?!のようなソウルフルな歌声!染みてくる。さすが声優さん!

そんな歌のお陰で、私は、この難局を乗り越えられそうだ。

何にせよこれが無いと俺は、書けないんだからな。そして、文章は書かなければ書かない程なまくら刀になってくる。研がなければ文章というものは、鈍麻してくるんだ。

だから、なんでもいいから散文を書こうと思った。書いているうちに指が、またこのキーボードに馴染んできて少しづつ筆が乗ってくる。

コロナ後精神の不調になってから一ヶ月。ちょっと長かったな。友人が厳しい戦いの中、懸命に暮らしている。私はこんな所でくすぶっている場合じゃない!

因みにハサウェイは、4回観たよ!後一回くらいは観たい。そして円盤は必ずゲットだ!さあ!始めようか!(愛のファンファーレ歌詞)