朱乃紅スキゾ日記

管理人朱乃紅の統合失調症の闘病記、雑記

何者かになるということ

社会で成功するにあたって何者かになることは、大事なことだ。

高学歴になる、医師になる、弁護士になる、公認会計士になる、トップアスリートになる、有名な俳優になる、大作家になる、大企業でトップを目指す。

そういった肩書を持つことで、他者にも認められ、自我も安定し、自尊心も保てる。

それが、世間一般でもてはやされる自己実現の確立だ。

けれど、そうなれる人は、この世界でも一握りだ。普通の人々は、それなりの社会的地位、それなりの夢、それなりの自己実現をすることで折り合いをつけている。

しかし、そこにもたどり着けない人はどうすればいいのか。先日、アニメ『ようこそ実力至上主義の教室へ』のレビューを書いた。この作品の舞台である高度育成高等学校は、卒業すれば100%希望の進学、希望の就職先に行けるという、高校だ。そこでは生徒同士の凌ぎ合いがあり、蹴落とされ、支え合い、上のクラスを目指すという生徒の営みがある。とても明瞭で痛快な物語だ。だが、現実はそんなじゃない。

もちろん、実力主義でのし上がっていく人もたくさんいるだろうが、大半の人は、自分の人生を守り、家族を守り、小さな自己実現を叶えて生きていくというのが普通だろう。しかし、上述したように、それにもたどり着けない人もたくさんいるということだ。私もその中の一人であることに間違いは無い。

私は、障害を背負っている中でどうにか自己実現しようともがいている。心理学が好きだから、臨床心理士を目指したいと思ったことが多い。しかし、いつ起こるかわからない発作が頻回にあることでW5H8で働けないのは、明確で諦めるしか無い。多分学力もそこまでは到達しないだろう。

ライトノベルが好きで、作家を目指したいと思って専門学校にも通ったが、長編一本も書けず、賞にも通らず、短編でくすぶっているのでは到底ライトノベル作家にもなれない。

最近は、心理学と好きな音楽を合わせて音楽療法士になりたいなどととのたまわっていたが、それも、モチベーションの低下とお金とやはりフルで働けないという制約のお陰で、実現はかなり難しくなった。

そんな私を含めた人たちはどう自己実現し、何者かになることができるのだろうか?そもそも何者になるということは、社会で成功を納めるということだけなのだろうか?

そうでない自己実現はあるのか。私は、昨日一晩中考えていた。だけど、私にはそうした世間一般でいう所の自己実現はできなさそうだと分かった。

だけど、私には、好きなゲームやアニメやラノベがある。そして、心理学も少しは力になるだろう。音楽も細々と続ける。それで十分だと思った。

そうして、このブログを書いていこうと思う。それだけで自己実現は可能だ。ブログ独立宣言というわけのわからない記事を書いたけれど、そうやって負け犬よろしく吠えていればいいと思う。むしろ鶏口となるも牛後となるなかれでいいし、アキハバラに通ってちっちゃな幸せをもらっていればそれで私は幸せだ。

何者かになる。それは、自分が決めればいいことなんだ。朝井リョウさんの『何者』を

読んでみようかと思った。