朱乃紅スキゾ日記

管理人朱乃紅の統合失調症の闘病記、雑記

今日も書きます。

日記になるといいな。

日課になるといいな。

どんなことが書けるだろう。

まあ、たいしたことは書けまい。

だが、いい。続けることが大事なのだ。

今までの最長記録はどのくらいだろう。

二週間続いたかな。まあ、そんなこともどうでもいい。

今日は何を書こうかな。

今、一番ハマっているアニメのことかな。

『ウイザードバリスターズ‐弁魔士セシル‐』だろ!

かわいくて、エッチで、面白い!

ど直球!梅津泰臣監督最高!

とりあえず、観終わって、『リトルバスターズrefrain』も観終わった。

どっちも何期前のアニメだよ!

そう、私はひねくれているのだ!

今日はその話をしよう。

私は、メジャーが好きではない。もちろん、トップになるのは、嫌いではないけれど、一番より二番。ホルホース(ジョジョ)じゃないけど、二番手が好きなのだ。

アニメも一期より二期、A級よりB級。そんな嗜好がある。

だから、今流行っている物にはあまり興味は無い。

自分の中で流行っている物が、自分の流行なのだ。

アニメではその嗜好が如実に現れる。

今、気になっているのは、『セレクターウィクロス』の前のやつ。これは、一期ね。

なぜなら今二期をやっているから。

ブラックラグーン』友達に勧められた。

それから、『そにアニ』。そに子かわいい!3話まで観て止まってる。

後はね、『バッカーノ』。エナミカツミさんの絵が好きでDVD買った。

もう、終わってるのばっか。でも、それが楽しい。

死語だけど、マイブームってやつ。

世間の流行に乗るのは疲れる。自分で発見して自分でハマるのが一番楽しい。

そんな感じで俺は、いっつも二番手を探している。

もちろん、スマホもiphone6だったら、nexus6だからね。

って買えないけどさぁ。ww

 

 

 

 

今日もつらつら書こうかな。(桃知みなみさんに会えて)

昨日から七か月ぶりに再開したこのブログ。

今はナチュラルに書きたいことがあるので書こうかと思います。

昨日は、アキバでアニメちっくアイドル桃知みなみさんに会えて、

写真を撮って、サインももらってお話もできました。

感激。アニソンぷらすの時から気になってたんですよね。

昔はアニメの被り物をしているから喋らなくてボードにカンペ書いて

お話していたのですが、その絶妙なコメントが面白くて好きだったんですよね。

最近どうしてるのかなぁ、って思ってたらたまたま寄ったアキバのベルサール

漫画のイベントに出演していました。

そんで、どうしても一緒に写真が撮りたいと思い、イベントが終わるまで待って、

声をかけて写真を撮ってもらいました。ももちみなみと書いたアメももらって、

サインももらってちょっとお話できました。あいさつ程度でしたけど。

「もっち」って言うのが合言葉で語尾にもっちを付けます。

かわいいです。つっこみも絶妙です。別れる時も「もっちー」と言って挨拶を

してくれました。被り物をしているけど下手なアイドルよりかわいいです。

2.5次元な所がたまりません。また会えるといいな。

陰ながら応援しています。

そんなこんなで今日の日記は締めるかな。全編もっちもっちになってしまいましたね。(笑)明日も書こうかなと思ってます。

ああ、そうツイートもしたけど、『サイコパス2』凄く気になります。今後どうなるのだろう。明日はサイコパスのこと書こうかな。では。

7か月ぶり、文学フリマに向けて書こうと思う。

このブログ、7か月も放置していた。

理由は、ウェブ不安症。私のスキゾの一端である。

ツイッターも最近まで、サークルの告知以外してこなかった。

それでいいと思っていた。何故なら私は、スキゾであり、デジタルに

親和性は無いし、アナログでローカルが好きだからだ。

それでも、これを書いたのは、今回、私の中で変化があったからだ。

デジタルに対して、究極の恋愛病、気になり症、そういったものから

解放される何かが起こったからだ。敢えてそれは書くまい。

しかし、それでもここを残してきたのはやはり惰性もあったが、

何かしら発信したいと思っていたからだろう。

それは、幸運なことであったと思う。やはり人は、言葉を発しなければ

ならない。そうでなければ、口を噤んだままであれば、いずれ消えゆく。

何かを残すため、何かを伝えるため、デジタルという、不確定なものであれ

記述し、記録することには意義がある。

だからこれを書くことにした。

11月24日は、我々『代々木果実混合』の参加するイベント「文学フリマ」が

ある。もうかれこれ6度目になる。

ここまで繋げて来れたのは、皆の力があってのことだ。多忙な中執筆をし、

イベント参加で、冊子を販売する。それを6度繰り返してきた。

年数にして、約3年。これからもこの絆は続いて行くのだろうか。

続いて行けばいい。そう願う。

だが、我々は、ただ同人誌を即売しているだけではない。

それぞれが、それぞれの夢に向かって進んでいる。物書き、絵描き、

そんなものだけが、目当てではないが、できることならそうあってみたいものだ。

私は、このブログをまた始めてみようと思う。

どこまで続くか分からないが、ウェブ不安症などには負けず、アナログな手法で

どこまでも泥臭く生きてみようと思う。それがデジタルで叶う時、俺の気持ちが満たされることだろう。

 

お久しぶりです!

前回から一か月が経過してしまいましたね。

つくづく自分の継続能力の無さに嫌気がさします。

けれど、この一か月無為に過ごしていたわけではありません。

自分なりの戦いをし、自分なりの苦しみと自分なりの快楽を

味わって生きてきました。

そこで、見えたものは無駄なものではなかった。

一つ大事なことに、友の力を得ました。

これは、人生最大の人間関係の力です。

私は、恵まれて育ってきたせいか、一人に満たされていて、

友情には少し懐疑的でした。もちろん若かった頃はそれなりに

友を信じていたし、むしろ依存していた

とも言えます。ですが、この年になってまで、少年ジャンプのような

友情を描こうとしたことには、訳があります。私は、アニメが好きです。

それは言わずもがなのことですが、私にとってアニメは、友の次くらいに

大切なものです。そのアニメはどんな稚拙なものであっても、

友愛や正義を描きます。いや稚拙なものであればなおさらその表現は、

色濃くなります。アニメの愛情や友情は、絵空事です。

でも、だからこそ望むのです。その理念系を。

私は、アニメの理念を実現したいと願っています。

指から魔術が発するのではない、巨大ロボットが宇宙を駆け巡るのでもない。

ただ、その願うところを実現したいのです。アニメに対してファンやオタクが

望むところは様々でしょうが、私はアニメを現実のものとして捉えていきたい。

「アニメじゃない」って歌う私の大好きなアニメの歌詞がありましたが、

(もう30年くらい前になるのか!)まさに本当のことです。

P4G(ペルソナ4ゴールデン)はその人との絆です。私は、P4Gを

楽しむためだけにやるのではない。これをクリアすることは、ゲーム内で言う

コミュニティMAX。つまり、その人との絆(コミュ)をMAXにすることです。

そうして、もう一つ見つけたものは、IDですIDとはidentificationの略。

つまり、IDカードや番号などの識別や身分証明のことですが、私にとってのIDとは、identificationではなく、identity 自己同一性です。私は、その自己同一性が確立するべき時に病気になりました。アイデンティティクライシスとそれによって崩壊した自我が一緒だったのです。そのせいで、この年になるまで、自分のIDが確立していなかった。

それが、20年かけて出来上がったのです。ここに至るまで20年かかった。

その内容は話すべきものではありませんが、それでも自分の自我が確立したのは、

大きなことです。これで、最後のボスに立ち向かう装備は万全になりました。

あとは、最終ボスを倒すだけです。その強さは、最近の自分のはやりで言うと

「ヴァルプルギスの夜」並みの強さです。絶対に勝てない。最強の敵。

でも、私とてほむらのようにここに至るまでいくつものループを繰り返してきた。

もう、その連鎖は断ち切るべき時に来たのです。

それでも、ヴァルプルギスの夜は倒せないでしょうね。

円環の理に導かれぬまでは。それに神にはなれない。

例え自分自身の心の内戦であろうと、全てを包括はできない。

ならば、どう戦うか。言葉を発するしか無いと思います。

シニフィアンシニフィエ精神分析は私にとって難解な病を攻略する武器になりま

すが、まだ全然理解できていない中では使いようがありません。

けれども、言葉によって病を壊すというのは、分析としても間違ってはいないはずです。言葉は言霊とも言います。ですから、これから私は、できる限り言霊を発して行きたいと思います。嘘、偽りなく、言霊を発する。そんなことができれば、

ヴァルプルギスの夜を倒すことができるかもしれません。

そんなことは、絵空事に過ぎないのかもしれませんが。

 

魔法少女まどか☆マギカMusic Collection』 を聞きながら。

自宅にて。(朱乃紅)

今、やらねばならないこと

今日は、少し真面目な事を書こうと思います。

というか、自分の独白です。

私は、今自分がどうすべきか悩んでいます。40も手前に来ていて、

まだ、進路やアイデンティティに悩んでいるなんて、情けないことですが、

それでも、やはり、スキゾを背負った者として、それは仕方のないことだと

も思っています。孔子の言葉で「吾十五にして学を志し、三十にして立ち、四十にして惑わず。(以下続く)」と言いますが、四十も目前で惑いまくっているこの身に苦しみと悲しさを感じます。仕方のないことだとは分かっていても、この病気さえなければ、と思わずにはいられません。しかし、「それでも」と言い続けることは、大事なことだと分かります。この言葉は、私の大好きな『ガンダムユニコーン』のマリーダ・クルス中尉の言葉です。現状が困難極めていても「それでも」と言い続け、事態を少しでも好転させるべく努力する。それは、病気であろうとなかろうと同じ事です。

ですが、この身に宿る苦しみと言う名の病は、計り知れないものがあります。

私は、自分の半世紀をこの病と闘ってきました。将来をある程度約束されたはずの時期に突然襲い掛かってきたこの病は、私を苦しめ、心を引き裂いていきました。

それでも私は、持ち前の根性で(この病気で根性論は、否定されている)、行動し、

思考し、戦い抜いてきました。そして、ようやく現在の自分を勝ち取りました。

それは、仕事であり、人であり、夢であります。

でも、それでも(この場合のそれでもは違う)私の病状は好転しません。

確かに、急性期と言われる時期や、それを過ぎた安定したころの初期と比べれば、驚くほど良くはなりました。しかし、陰性症状と言われれる症状や、たびたび起こる発作や不安症は、今でも私を苦しめ続けています。

だからどうしろというわけではないのですが、私はこの統合失調症の身を含め、これから何を目指して何をしていけば良いのか、分からなくなってきたのです。

私には、アニメ文筆家(造語 アニメに関する物書きをする。 ライトノベル作家など)になるという夢があります。もちろん、それはまぎれもない私の願いです。

しかし、それでも日常では、極度に疲れ、時間を無為に過ごし、ほとんど何の成果も残せないまま暮らしています。こんなままでは、私の夢は実現されません。

だから、今私は何をすべきか考える時なのだと思います。文筆家になるには、書かねばなりません。こんな独白文ではなく、小説をです。しかし、私はサークルの冊子と、一回の投稿そして、学校時代の提出した作品などを経験してきて、どうも充実感を感じることがありませんでした。小説を書いていて充実しない。満足しないというのは、クオリティの部分を差し引いても小説家としてかなりの欠点だと思います。

それでは、私は何をすべきなのか。このまま、今の仕事を続け、ある程度の好きなことをして、発作や不安症をおこしながら、なんとか生きて行くことは、可能かもしれません。(まあ、60くらいまではですが。福祉をやっていた者としてはその後の末路が恐ろしい)しかし、それでは悔しすぎます。ここまで努力してきた結果が、それだと分かったら私は、おかしくなりそうです。

だが、どうすればいいのか分からない。私は、今まだ長編を投稿したことはありません。というか長編一本すら書き終えたこともないのです。

そして、書ける自信とモチベーションがとても少ないのです。

サークルで短編は書いている。けれど、それではプロにはなれないのです。

仮に投稿できたとしても、それが通る確率は恐ろしく低いです。

それでも、アニメ文筆家を目指すというのか。私は、わからないまま、今日を過ごしています。ここから先は自閉モードにします。

もし、何かしら活路が見いだせたらその時またお話できたらよいかと思います。

(紅)

 

 

なんか書きますかね。

大分放置していたので、なんか書きます。

どうでもいいことを徒然に。

そうだねぇ。最近は感動することが増えたねぇ。

例えば、今回のソチオリンピック

今回を最後の舞台に決めていた日本人選手が多かったせいもあり、

その喜び、嬉しさ、悲しさ、悔しさ。

それらが、あらゆるところに散りばめられていた。

フィギュアの真央ちゃん、ジャンプの沙羅ちゃん、それからモーグル

愛子。なんだか涙の方に比重がかかるけど、スノボの歩夢くんや卓くん、

ノルディックの渡部選手、そして、レジェンド葛西選手。

そういった歓喜の気持ちもあった。

それぞれが、背負ったものがあの場所に映し出され、発揮できた者、

出来なかった者は様々であったものの、それでも彼らは輝いていた。

毎回オリンピックには、感動と涙があるけれど、今回はそれがひとしおだった

ように思われる。

今回を機に現役を引退する人も続ける人もいるが、このソチオリンピックに参加した

ことは、きっとこれからの人生を豊かにするものだと思う。

戦いを終えた選手たちにお疲れ様と言いたい。

と、後はね、人との交流が最近とても滑らかなんだよな。

仕事でもそうだし、サークル、習い事、身内、そして、親友、なんだろう。年とったせいかな。人との距離の取り方が上手くなってきたのかな。

いや、それは無いな。未だに距離の取り方は下手。いっつも直滑降だからね。

でも、やっぱり、人との繋がりを感じるのは嬉しいかな。

俺は、人ってなかなか信じられなかった。だってうまくいかないことばかりだからね。

特にスキゾになってからは。でも、「それでも、と言い続けろ」ってマリーダさんが

言ってたように「それでも、それでも」ってずっと言い続けてたら、良くなってきた。

周りとの関係、個人的な関係。最近も嬉しいことがあったからこれを書いたってのもあるんだ。

今年は、始まって二か月たったけど、なんか様々なことが待ち受けてるんじゃないかなって思ったら希望が出てきたよ。それも、人があってのこと。

二次元の方もばっちし楽しんでいるし、三次元もこのまま上手くいくといいな。

ま、大抵ぼろが出るんだろうけどね。

てな感じで今日はお終い。また今度はテーマつけるようにします。

 

 

 

黙して語らず

とはいかないものですね。私は、このブログを始めて最初は、何かを常に書き続けようと思っていましたが、やはり、書くべきか、書くべきではないかと、思案しているうちに、書くきっかけを無くしたり、書こうとする気が削がれたりして、なんとなく不定期に書くようになっています。けれど、本当は書きたいことが山ほどある気がします。

しかし、その書くべきか書かぬべきかの壁で書かない方が多くなる割合が多いのはなぜでしょう。フロイトの言うところの夢の「検閲」みたいなものがここにはあると思います。ぶちまけたいことは、抑圧されて、無意識にしまわれますが、いろいろな形で現出するといいます。例えば、夢、私は恐ろしいほど夢を見ます。しかもそれをかなり明確な映像と、物語として覚えているのです。それもフロイトに言わせれば、顕在内容といって検閲を経た歪曲された記憶なんでしょうが、実感として違うのは、私の場合、夢がかなり具体的だということです。夢が願望の充足というところを実にリアルに再現する夢を見ます。だから、私は夢が恐ろしい。睡眠が浅いのでしょうか。夢はレム時の時見るといいますし。

次に症状でしょうか。これは、抑圧されたストレスが発作などになって現れます。だけど、夢ほど抑圧されているという実感が無いのは、覚醒しているから、他の情報が大量に流れ込んでくるからでしょう。それを処理できなくて脳が疲れてしまうというのが私の日常です。

それより、書きたいことを書けないというのは、私が臆病だからでしょうね。

いろんな軋轢を排して書き抜くことができない。これでは、物書きとしてはだめですね。ですが、こうして自己分析をしてそれで書くことによって、なにかしら書いたことになる。それが、次につながればいいのですが、と、こんなとりとめのないことを書いて今日は閉じます。

また、次には何か書けるといいのですが。