朱乃紅スキゾ日記

管理人朱乃紅の統合失調症の闘病記、雑記

沈黙は金、言わぬが仏

言わなければ、角が立つことも無かった。火に油を注ぐことにもならなかった。ただ、肯定して、全てを受け入れてしまえば傷つくことも無かった。

それでも、私は言ってしまう。それは性だ。何故言ってしまったのか。己の正義心と言えば聞こえは良い。しかし、そうではないと思う。私は、自己の保身のために友達に箴言めいたことを言ってしまったのだ。それでもそれを修正することはしなかった。私にも一分の理はあるからだ。友達を責めた訳では無い。だがそう捉えられたかもしれない。ここに病が入り込む。もし、私に精神の病がなければ、友人にもそれがなければ、私達はそれほど傷つくことも無いだろう。しかし、病は、そこここに配置されているのだ。だから苦しい。だけども、私は、理知的でいたいと思う。それが角を立たせることになっても。情に棹さすのは望まない。仕方無い。理性というものは、結局の所、情動には敵わない。そうだとしても私はそれに従う。堀北鈴音の様に。だが、悲しいかな。私は堀北鈴音ほど知的に優れてはいない。私を守り抜く知性は、文章だ。この文章に賭ける。けれど、それも大した武器にはならない。だけど、こうして文章化して整理することで、私のメンタルは保つことができる。何故言ってしまったのか?今更後悔してももう遅い。それに私は言ってしまったことが間違っていたとも思っていない。だから、理性を磨こうと思う。平野啓一郎が自分の弱点を克服するために「知的になろうと思った」と言っていた。私も同い年の、知性では到底及びもしないが、彼に倣う。

 

 

よう実と友

 最近、天候のせいか疲労が酷く、仕事を休んでしまったり、疲れが取れず一日十何時間も寝てしまって、それでも疲れが取れず、参っているところに家にネズミが出始めて、それの駆除対策が大変だったり、凄く参っている。そんな時、親友から連絡があって、少しラインで会話してみたら、友人もこの天候で不調らしい。それでお互い励まし合ってそんなやり取りをしていたら、元気をもらえて、そして最後にケアルをかけてくれて嬉しかった!本当に親友には助けられている。

 それと話は別なのだが、けれど、関係ないことも無くて、今期のアニメで『ようこそ実力至上主義の教室へ3rd Season』が放送していた。私は、一期からずっと見ているのだが、凄く好きで、今期も終わってしまい、少しロスになっている。

 ようこそ実力至上主義の教室へ、略して『よう実』は、高度育成高等学校というめちゃくちゃ実力に特化された高校に通う生徒の物語だ。高度育成高等学校は、生徒一人一人にポイントが付与され、それで自由に買い物や遊びをすることが、巨大な学校の敷地の中で許されている。しかし、クラスは上からAからDまでの4クラスがあり、試験の成績や素行態度などでポイントが加算されたり減じられたりする。そこで主人公はじめそれぞれの生徒は、協力したり切磋琢磨しながら上のクラスを目指すのだが、そこには、権謀術数があり、足の引っ張り合い、貶めたりする奴らも出てくる。そしてこの学校に特有の特別試験という様々な仕掛けが張り巡らされている。主人公の綾小路清隆(あやのこうじきよたか)は、元々ホワイトルームという実験室で育てられた超ハイスペックな能力者なのだが、その爪を隠して、平凡な生徒として過ごしている。しかし、その実力を発揮せねばならない自体が次々とやってきて……。これ以上言うとネタバレになってしまうので、後は、ぜひアマプラなどで御覧くださいと言っておくが、私はこの作品からとても学ぶものがあった。

 それは、実力至上主義というのは、本当は、どの世界でもあることで、そこで蹴落とされたり、逆に支えられたりというのは、あることなのだけれど、よう実はそれがあからさまにまるで当たり前の様に表現されていて痛快だ。一期のOPでZAQが歌う『カーストルーム』という歌の歌詞のように、「君はどう生きるのかって問われたみたいだ」というようにまさに容赦の無い力が示される世界だ。そんな作品だけれど、やはり救いもある。清隆は、まるで感情のない正確無比なロボットの様に振る舞っているが、その中には、どこか正しさがあって、過去に過ごしたホワイトルームという実験室から抜け出そうという自由の兆しが見える。

 私は、この作品と現実の世界を色々と比べたりしながらそれでも、まだ足掻き続けようと思った。それは、まさに友がいるからで、それから、私を支えてくれる家族や、嫁、そして、様々な人達また好きなアニメや音楽、心理学。色々なツールを駆使して生き抜こうとするのはまさによう実の世界と同じだと思った。

 世界は、混迷の色を呈している。戦争、貧困、差別。よう実の世界よりもずっと酷い実力者すら貶められる地獄の世界かもしれない。だが、私は、こうして生きているし、生かされているのだから、精一杯生きなければいけないと思う。そういうことを学ばされる作品だし、そして、友情は大切にして、生きていこうと思う。二年生編のアニメ化を期待して。

 

 

 

 

何もやる気が出ない時

今日は、姪の誕生日会で和食の店で父母、妹一家と私達で食事をした。

姪も今年から小学五年生になるということだったが、大分背も伸びて、発言も機微を感じながらしっかりと出来るようになって、成長したなぁと感慨深かった。誕生日プレゼントは、大きな黄色いぬいぐるみがいいとのことだったので、うちのと相談してネットでポムポムプリンの超デカぬいぐるみをあげたが好評だった。食事も美味しく(写真撮るの忘れた)ボリュームもそれなりにあったので私達も満足できた。姪のことで話も弾み、楽しい誕生日会ができたので良かった。帰りは、古本市場でセールをやっていたので、心理学の本や空条徐倫のQポスケットやライトノベルを安価で手に入れ、ラッキーだった。帰宅して、犬猫の世話をして、その後自室に入って何をしようかと思ったが、何もする気が起きない。勉強しなくてはいけないのだが、やる気が起きず、ギターも弾くきになれず、ゲームをする気もしない。アニメすら見る気がしなくて、読みかけの小説を読もうとするもページが進まない。どうしようかと思った時、今年のアカデミー賞で7部門を制した映画『オッペンハイマー』の監督、クリストファー・ノーラン監督の作品が見たくなり、『TENET』を二時間半で少し長かったが、アマプラで見ることにした。感想となると、ネタバレになるし、むしろネタバレできるほど私が理解できていなくて、なかなか上手く述べられないのだが、正直二時間半、まったく飽きる所が無い、まさにノンストップの映画だった。

概要は、第三次世界大戦を防ごうとするエージェントの話で、まさに今世界を震撼させている問題がテーマになっているが、そこに核の脅威だけでなく、タイムリープの要素が入っていて、面白いことに、それがただ時間が遡るというのではなく、部分的に遡ったり進んだりする。上手く説明できないが、時間が前に進んでいる所と、後ろに進んでいる所が同居している世界になっている。これ以上はネタバレなので言わないが、とにかく、斬新なスタイルの映画でかつメッセージ性もある。

クリストファー・ノーラン監督の映画は『ダンケルク』だけ見たことがあるが、ダンケルクの生き残ろうとする戦いも凄まじかったが、この作品も息つく場面が殆どなかった。かなり気に入ったので、アマプラでやってるの制覇しようかと思う。

他だと、『インターステラー』や渡辺謙も出演した『インセプション』とか初期の『メメント』とか、楽しみが増えた!何にもやる気が起きない時、映画をみることはいいことだと分かった。それにより、何もやる気が無かったのが、やる気が湧いてくることになる。

 

ヴォワチュール・リュミエール思考

日々の思考の中でまた新たな思考法が見つかった。

その名もヴォワチュール・リュミエール思考。

引用元は、『機動戦士ガンダムSEED C.E.73‐STARGAZER

劇中でモビルスーツスターゲイザーガンダムを太陽の微粒子で

推進させる装置の名称だ。

その意味は、仏語で「光り輝ける運び手」だそうだ。

その意味とは関係ないが、スターゲイザーガンダムがヴォワチュール・リュミエールを起動させるとその身体の周りに緑のいくつもの光の輪が機体を纏う。それは、防御シールドでもあるし、ときに攻撃にも転じられる。

それが私の中で、今の思考法と合致したので拝借した。

私は以前に全方位思考、360度思考というものを考えだしたとこのブログで書いた。

その360度思考が発展した形がヴォワチュール・リュミエール思考だ。

360度思考は、360度のメタ視点から私の内面を観察しまくる、つまり後で気づいたが、

マインドフルネスのボディスキャンに似ていると分かった。

それは、常に外側から自分の内側をカメラワークの様に観察する思考法だったが、

今回のヴォワチュール・リュミエール思考は、それを内側だけでなく外側にも発揮することが可能になったのだ。外側にコミットメントすることで、内面だけでなく外面の問題にも対処可能になった。これで私の防具はほぼ完成した様に思える。

もちろんヴォワチュール・リュミエールなどたいそうな名を付けるまでもないが、私は厨二病なので、そう命名することで、私に効力感を出させるものになっている。

 

 

 

 

聖なるもの俗なるもの

私は、ハマーン様に言わせてみれば俗物だと思う。

色々なアニメのグッズや、やりたいこと、そういうものに囲まれていれば幸せだ。

今回、ファイアーエムブレムifの画集を比較的安価で手に入れた。

美しいイラストが散りばめられていて、それを見ているだけでも嬉しくなる。

そして、今私はやりたいことがある。音楽療法。それに向かって進もうとすることが生きるチカラになっている。できるかどうか分からないけど、やってみる。そうすることで見えてくるものもあるだろう。何にもならなくていい。でも何かになるかもしれない。そんな希望的観測だ。そして人は何を目指すべきなのか、それは人によって様々違っている。けれど、生きようとするその根源には、絶え間ない命の営みがある。それに優劣は無い。

私は、俗人だ。パプティマス・シロッコに言わせてみれば、一握りの天才の足を引っ張ることしかできないそんなちっぽけな生き物だ。だけれど、それで良いと思っている。私には、まだやるべきことがあって、やりたいことがある。それで十分だ。

こうして書き記すこともただの言い訳で、何にもならないとしてもそれでも、私の足跡は残る。東日本大震災から13年、そして今年のアカデミー賞。終わらない戦争。とめどない貧困、人間の軋轢、私はそんなものに囲まれていてもこうして生かされていることに感謝しなければ。私は、まだ生きたい。

ファイアーエムブレムif画集ペルシードクリスタル

 

目指す!音楽療法

私の長年に及ぶ自己探求の道筋が見つかった。

私は、これまで心理学を学び続けていた。精神分析認知行動療法。そして、放送大学の各教科、心理学概論からカウンセリング理論など。私は、これがやりたいのだなと思っていた。心理学をやっていきたいのだと。けれど、私には、臨床心理士になれる身体と心を持っていない。いつ起こるか分からない発作、再起動するかもしれない強迫、得体のしれない身体の不調。こんな身で大学院が、臨床心理士の仕事が務まる筈がない。だから諦めた。だけど、何かしら心理学の学びをこの先の人生で活かしていきたかった。

そう思った時、たまたまギターのレッスンがあった。優しい先生で病気のことも話し、配慮してくれている。レッスンは楽しい。その時繋がった!

そうだ!俺は、大好きな心理学を音楽と結びつけよう!と。

今年の私の抱負は、「心理学、音楽、ゲーム、の融合」だった。3つが全てというわけではなかったが、私は、心理学と音楽を結びつけて、音楽療法を目指そう!と思った。

もちろん、日本音楽療法学会音楽療法士になることは、先ず金銭的に不可能。

だけれど、本や様々やっている講座(怪しいのもたくさん)などを受けたりして、音楽療法の道を進もうと思った。私は、音楽畑から音楽療法に行くのではなく、心理畑から音楽療法に向かう。そのためには、認定心理士の資格は必ず取らなくては。

もちろん、音楽療法の学びや実践(ギターやピアノや理論)も同時進行だが、心理学が先だ。認定心理士が取れなければ、効力もある資格が何も無いことになってしまう。

学びのスピードは、遅々としているが、なんとか数年かけて取ろうと思う。

そして、いつか音楽療法の仕事ができれば幸せだ。しかし、できなくてもきっと、何かの役に立つはずだ。「やれるとは言えない!けどやるしか無いんだ!」(アムロ・レイ

 

 

雑念無念。

しばらく記事の更新が滞ってしまった。それも、私の中で色々な動きがあったからだ。まず、ギターを再開して、ノッてきたこと、それから、周りの環境が少しづつ変化してきたことだ。ギターは、YUIを中心に弾いている。それから、心理学の学びも少しづつ進めている。精神の状態は上々。しかし、昨日も酷い発作が起きたように、油断はできない。発作は本当にやめて欲しい。ほとんど理由も無く、ランダムに起きるから厄介だ。だから、本当に心配なのが、スクーリングとかだ。スクーリングは2日間一日全て拘束される。もちろん大学の事務局に私の障害を伝えてはいるが、発作を起こして2時間実習ができなかったら単位はもらえないだろう。そういう理由で、私は、スクーリングを後回しにしている。元々時間をかけて資格を取ろうと思っているから、詰め込んで結局挫折にはなりたくない。だから、今日も家で勉強をしようかと思ったが、犬がうるさいのと、なんとなくくさくさしていたので家を出て適当な電車に乗って、適当な駅で降りた。ブックオフハードオフの充実した店舗が駅前にあり、そして、古本と、古着を一つづつ購入して、喫茶店を探していたら、いい店を見つけた。小洒落た感じのカフェだ。そこで食べたものが写真のもの。レモンカレーとボリビアのコーヒー。

レモンカレーはとても爽やかなレモンとカルダモンの味で鶏肉も沢山入っていて美味しい。ボリビアのコーヒーというのはあまり飲んだことがなかったが、雑味が無くてまろやかな味わいだった。長居はできなさそうだが落ち着けるいい店を見つけた。時々行こうかなと思う。

そんなこんなだが、少し困ったことが起きた。家にねずみが出始めた。猫を飼ってからねずみはいなくなっていたと思ったのだが、倉庫になっている部屋に久々に入ったら、糞が撒き散らされていた。業者を呼んだほうが早いが、なにせガラクタが溢れた部屋なので中々人を通せない。なので、これからーホームセンター(私の店でなく)にいって殺鼠剤を買って来ようと思う。果たして絶滅させられるか。とにかくもう少し家を片付けないといけない。自分の心が整理されてくれば家も自ずと整理されてくるなどと希望的観測を述べているが、どちらにせよ。どちらも整理しなくてはいけないと思っている。

 

レモンカレーとボリビアのコーヒー