朱乃紅スキゾ日記

管理人朱乃紅の統合失調症の闘病記、雑記

欠勤と障害者雇用枠

今日は、仕事を休んだ。職場の駅まで行って戻ってきた。馬鹿らしい。感染のリスクもあるし。でも、本当に疲れていた。昨日は張り切って仕事をしていたが、朝からお客に暴言を浴びせられ、凄い腹が立って我慢していたが、常連客のようだった。最早仕方ない。常に冷静にしていることは、とても疲れる。そして、帰宅してからは、嫁と喧嘩になった。凄く落ち込んだ。これらは、統合失調症のせいだろうか。違うだろうな。だが、そのストレス生成に統合失調症は関与している。私は、現在障害者雇用枠で働いている。今の会社に勤めて十一年になる。私の所属しているサークル代々木果実混合も今年で十周年。私が代々木アニメーション学院に在籍していたとき今の仕事に就いた。その時、うちの店には、障害者は一人もいなかった。いた経験もなかったそうだ。当時障害者雇用枠の仕事はとても少なかった。今のコロナ禍を考えればまだマシな方かもしれないが、とにかく障害者が一般企業で働くことはとても難しいことだった。右も左も分からない状況で働き始め、周りも私の扱いはわかっていなかった。だが、私は、とにかく頑張った。発作や症状が起きる中必死で働いた。しかし、それでも、不調は常に起き。私は、度々欠勤した。上司に休んだ分休日出勤するように言われた。だが、私は断った。障害者としての権利を主張した。クビになるのも覚悟したが、皮一枚で生き延びた。そして、そうこうするうちに周りも私が異常な人ではないということがわかって来てくれたようだった。私は、ホームセンターで働いている。仕事は、品出し、接客、その他雑事諸々。簡単なようだが、その雑事というのが色々あって、例えば納品とか売り場づくりとか、はたまた生体管理とか。とにかく色々なことをやらねばならない。変化に富むことは統合失調症の患者には辛いことだ。相手が人間、お客様なので、どんなことが飛び出してくるかわからない。知識の無い商品を説明しなければならないことは、とてもしんどい。もちろん、専門の担当がいるので一人で対応できないときは、その人を呼ぶ。まあ、そんな感じで十一年やってきた。その間、何人もの精神障害者が入社したが、ほとんどの人が一年続かず辞めていった。今も続いている人はいるがわずかである。そして、私は、仕事を度々休んでしまう。今日のような激しい疲れ、それから症状が出ているとき、強迫症状が続いているときなどだ。なんとか行こうと思って電車に乗るが、しんどすぎて店の駅まで行って、時には店の前まで行って引き返してしまう。行ってしまえばなんとかなることも多いのだが、その分かなりの疲労が残ってしまう。無理をした日は帰宅後ベッドに倒れこんで数時間寝てしまう。時間も一般の人より短いし、レジ打ちなどもないため(多分私がレジをやったら大変なことになるだろう)会社の配慮は過分にあるのだが、仕方ない。情けないとは思うが。それで十一年やってきたものだから今では上司も理解してくれている。とにかく、今日は休んでしまったのだ。そしてこれを書いている。いいのだろうか?いいんです。そうやっていかないと統合失調症なんてやっていられない。私はこれからも時々休むだろう。しかし、店が潰れるか、もしくは今の上司がいなくなって理解のある人がなくなった時に職を失うかもしれないが、その時はその時だ。でも、できるだけ休まないようにするには、このブログを続けることだと思う。私は、ブロガーとして物書きの端くれとして誇りを持ちたい。その誇りが力になると信じている。