朱乃紅スキゾ日記

管理人朱乃紅の統合失調症の闘病記、雑記

『86-エイティシックス』の凄み

今期で視聴しているアニメは、『86-エイティシックス-』(以下86)と『不滅のあなたへ』の二作。

私は、とりわけ86に対しての思い入れは強い。この作品、電撃文庫安里アサトが書いたライトノベルだが私は原作を読んでいないので、長期的なスパンとしての作品の感想は述べられない。しかし、今期8話まで見た中で私は衝撃を受けている。

それは、徹底的な絶望をこれほどまでに描いているアニメ作品は、昨今稀であるということだからだ。主人公シンエイ・ノウゼンとヒロインのヴラディレーナ・ミリーゼの対比的な描き方から見えてくるのだが、一方は、迫害された人種そしてもう一方が迫害している側の見地であり、そこには相通ずるものが無い。レーナの必死の抗いも、国家の権力の名においてことごとく潰されていく。対してシンたち86は死に対して諦観を持っているがしかしてそれに抗わない訳ではない。死ぬことがわかっていながらも戦い続ける心性に驚嘆するところだが、そこには僅かな希望がある。それは、どのように人生を全うするべきかという問いが語られている。私は、以前この作品を評した時に、現代の日本に対するアンチテーゼというか問題提起というようなことを述べたが、その感想は変わっていない。私達は、全世界で起きている不条理な争いを横目で見ながらもそれを当事者として捉えることができない。その姿はレーナと似ているが彼女は、それを直視して変えようともがいている所に違いがある。私達はレーナの立ち位置にすら立っていない。それは、どうしようも無いことなのだが、歯がゆさを感じる。

作品では、とても人間的に描かれていた86の戦士たちがいともたやすく殺されていく。

それを、悲観的に捉えるより淡々と受け入れていく生き残った戦士たち。私達は、この戦士たちの立場に立つことさえできない。ならば、私達はどう生きるべきなのか。この作品には、その問いが掲げられていると感じるのは、私の身勝手な感傷なのだろうか。

エンターテイメントでありその最たるメディアのライトノベルだとしても社会問題を提起することは、可能であり、間違ってはいない。11日から上映される『機動戦士ガンダム閃光のハサウェイ』にもそんな問いが語られているに違いない。

日本が誇るロボットアニメ、それは、数十年の時を経てここまでブラッシュアップされ洗練されてきた。私達のできることは数少ないだろうが、それでも、生き残って行くための方策は考えていかなければならないだろう。このコロナ禍で様々な国家の思惑が見えてくるが、私達は、それに惑わされずいかにして日常を勝ち取っていくか、86を見てそれを考えさせられた。