朱乃紅スキゾ日記

管理人朱乃紅の統合失調症の闘病記、雑記

私の仕事

私は、今の仕事を13年、来年で14年勤めることになる。仕事の内容は、ホームセンターでの品出しと接客、その他雑事だ。私には、表題にもある様に、統合失調症という精神の病があり、この店で働くにあたって障害者雇用枠という雇用形態で働いている。近年国では、企業に一定の割合で障害者を雇う義務が課せられるようになった。障害者雇用促進法という法律で法定雇用率があり民間企業の場合全従業員の2.3%障害者を雇わなくてはいけない。それをしないとその企業にはペナルティが課せられることになっている。私は、その雇用枠の中で働いていて、勤務日数や勤務時間などが配慮されている。

しかし、ここまで来るのにどれだけの戦いがあったか。確かに、私達は障害を持っていて障害者雇用枠で働いていることで、会社や上司から勤務日数、時間が配慮されている。それでも、精神の病があることは、とても困難で、他の従業員よりも、負荷は軽いのだが、それでも、今の仕事でいっぱいいっぱいだ。私の店では、一番最初に入社した障害者が私で、上司や周りの職員は、障害者のことは右も左も分からない人たちばかり。随分ぞんざいな扱いもうけた。それでも、私は、以前には介護の仕事を4年くらいやっていて健常者の人たちと同じ様に働いてきたので、何とか、店に溶け込むことができた。それでも最初の数年は、退職か継続かの葛藤の毎日だった。

体調不良で休んだらその分休日出勤しろと言われた。私は、嫌だと言った。クビになるかと思ったが、周りの配慮で救われた。 その後も上司に掛け合って日数を減らしてもらったり、時間を調整してもらったりして、何とか長らえて来た。私の後に精神障害者は、10人近く入ってきたが、皆続かなかった。残っている障害者は精神では私だけ。それから身体の子が三年前くらいに入ってきて頑張っている。身体と精神では全く質が違うので抱えている障害もまた違っている。

そんなこんなの私の仕事だが、主に重労働要員とされている。20kgの砂袋を運んだり40リットルの肥料をいくつも出し入れする。一番つらいのが15kgの砂利を100袋を積み上げること。これはしんどい。でも、そのお陰で筋肉はついた。それでもメタボリックだけれど。冬場は灯油の販売がメインだ。それでも中の仕事もしなくてはいけない。一応、ペット担当になっていて犬や猫を飼っているものだから色々とお客様から聞かれることも多い。時々メーカーの担当者に電話をして用具の使用方法や種類の確認などをする。後、背が少し高いので高所の作業など頼まれることも多い。その他は品出しがメインで、各部門の入荷した商品を陳列する。その陳列する棚を季節ごとや新しい商品の入荷で什器というものを使い、変えたりする。他には切り売りというホースやテーブルクロスを切断して販売するのだが、指定通りの長さに切るのは以外に難しくぶきっちょな私はこれが不得意だ。この様な作業が私の主な仕事だ。

言ってみれば単純な作業かもしれないけど、お客様相手の仕事なのでそう簡単には行かない。中にはふっかけてくるお客もいるし、無理難題を言ってくる人もいる。それで辞めてしまった人も結構いる。病気を持っていなくてもだ。

そうしているうちに10年以上が経っていた。出勤時間を調整してもらったお陰で休むことや早退することもほとんどなくなったが、それまでは、大変だった。朝家を出て、具合が悪く、職場のある駅まで行って、店の前まで行って、それでも休んでしまうことも多々あった。仕事中発作が起きて、バレないように倉庫に隠れてやり過すこともあった。仕事の後は、疲れ切って近くの公園のベンチで寝たりすることもあった。怪しい人と思われかねない。

だが、それでもここまで続けて来れたのは、周りのパートのお姉さん方に支えられて来たことと、そして少しの根性とそれから何とか生き残ろうとする狡猾さだと思う。もちろん、発作が起きて休むのは仕方の無いことだ。しかし、私は、上手く勝手に休憩を取ったり、隠れたり、上司から配慮を引き出したりそういう少しずるいという部分があるお陰でここまでこれたのだ。この病、根性で治せるほど楽ではない。正攻法でないやり方を持つこと。真面目が過ぎてもだめなのだ。生き残るにはそれが必要だ。

辞めていった障害者で私の半分くらいの年数共にして、私より長い時間働いていたやつもいた。私より仕事もできてヤンキーかぶれのやつだったがどうしても苦手で時間が被らなかったので良かったが、私の弱みに漬け込むので辞めてくれた時には安心した。

そういった歴史が私の13年にある。ざっと振り返るとそんなものが私の仕事というものだ。