朱乃紅スキゾ日記

管理人朱乃紅の統合失調症の闘病記、雑記

早朝から

朝になると強迫が蠢き出す。一度ストップした方がいいのか。それとも続けたほうがいいのか。私は、何度も続けては、消してきた。そうしていつの日かやらない方がいいということになっていた。けれど、今回、やってみて、やはり私は、ブログがやりたいのだと分かった。それでも、やはり強迫は、若干起こる。ここで立ち止まるか。

何が大切なのだろう?私は、デジタルを軽んじてきた。0と1の集合体でしかない、ボタン一つで、出力することも消去することもできるこの幻影が、果たしてどれだけの意味があるのか。翻って紙や物体がどれほどの価値のあるものなのか。たしかに、物体には手触りがある。感触が、そして私のオリジナルの筆跡が残る。しかし、それは、デジタルと比べてどれほどの価値があるのだろう。私の大好きなPlayStation Vita確かにそれは物体だが、そこに入っているゲームはデジタルだ。大好きなゲームメーカー、ヴァニラウェアのゲーム、『十三機兵防衛圏』、私がプレイしてきたゲームで三本の指に入るほど夢中になったあのゲームだってデジタルだ。十三機兵防衛圏、あのゲームこそ現実と仮想現実が入り乱れて、クリアーしても理解が追いつかなかったゲームだが、それこそ象徴的だ。ソードアート・オンラインもそうだ。現実と仮想現実。アナログとデジタル。私は昭和生まれだ。根性や気合が重んじられた時代。十三機兵防衛圏の舞台1985年近くに少年時代を過ごした。私は、それに捕らわれ過ぎているのかもしれない。アナログがそれほど大事なのか?デジタルはそれほど儚い無価値なものなのか?そうではないだろう。例えデジタルだとしても、ここには、私の思いが残っている。ボタン一つで消えてしまう。それは、寂しいことだ。だけど、思い出してみろ、ファミコン時代にだって、ドラゴンクエストふっかつのじゅもんを一文字間違えただけで、データが全て消えてしまったことを私は経験している。私達世代は、アナログとデジタルの分岐点にあった。ファミコンのカセットを団地の5階から落としてもう一度本体に差し込む、その時またゲームができたあの堅牢なカセットという物体。あれだって半導体の一つだ。ナノマシンは物体なのか?そうだろう。だとすれば、私がキーボードで叩き出したこの電子の文字すら愛すことは出来ないか?私はスマホにも日記を残している。先日その日記が3000件を超えた。あれすらボタン一つで消えてしまう。だとしても、私は構わない。答えはそこに心があるのか無いのかということだ。私の文章には、多分デジタルだとしても心が映し出されているはず。そして、紙の文字も同様だ。そして、結局、私はガジェットが好きだということだ。PlayStation Vita、Switch、15年前のMDコンポ、15年前の地デジテレビ、そしてChromebook。面白くてちょっと古いおもちゃがあることが私を喜ばせる。デジタルかアナログか。そんなことどうでもいい。とにかく心を残すことだ。例え一瞬で消えてしまう儚いものだとしても、きっと人の心には残るはずだ。